飯田集落の西には白馬五竜スキー場やペンション・別荘地の森が広がっています。遠見尾根の山麓の森林です。この森の飯森集落との境界辺りには、おそらく戦国時代末まで飯森城直下の集落(城下街)があったと思われます。飯森城城跡がある小高い丘の南麓に広がる森です。しかし、現在はすっかり森林に覆われています。城下街があったとも思しき区域は、明治以降、とりわけ昭和期に杉の植林がおこなわれたため、古くからの森林や遺構が失われています。
古い城下街のいこうがどこかにないか、という思い込みを道標にして、私は古い村の跡がないかと別荘やペンション、保養施設が点在する深い森のなかを歩き回ってみました。集落跡は見つかりませんでしたが、山裾の住民たちの歴史を物語る祈りの場を見つけることができました。
姫川の支流、犬川上流部の砂防堰堤。五竜スキー場の南東端に位置するロッジの横にある。犬川の水源は五竜岳山頂直下で、遠見連山の谷間の急斜面を流れ落ちてくる。盆地の勾配の緩やかな場所に出る手前に、この堰堤がある。
◆森林探索でめぐる主要コースの地図◆
▲森のなかを舗装道路が通り、ところどころに別荘や宿泊施設がある ▲山神社の脇を往く道路: 左側の杉樹林が神域 ▲鳥居に続く参道 ▲シメジ茸のような形の石塔祠: 奥が社殿 ▲山林の鎮座する社殿は山の神に似つかわしい ▲社殿前から境内を眺める |
◆飯田山神社◆山神社の鳥居脇に立つ説明板によると、山神とは山仕事をする者を守る神で、山中での日常的な仕事――山菜取り、薪狩り、茅刈りなど――の安全を願う杣人が講をつくって祀り、集団的に祈願し、宴を張ったということが記されています。
ということは、古くから近隣には山の暮らしを営む人びとの集落があって、日々に蔵氏のために燃料や食糧や住居用素材を山林のなかで調達していたわけです。
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▲社殿の脇にはロッジがある ▲小さな高台の上に祠社殿がある ▲ひとつの社殿で水神宮と熊野権現社の2柱の神を祀る |
◆飯田水神宮と熊野権現社◆ 千国街道は塩尻宿でそのまま三州街道(伊那街道)に切り換わるので、秋葉権現への道ともなります。したがって、この街道沿いには数多くの熊野権現社があります。秋葉社は火伏の神ですから、ということは、この近隣に昔から集落があって、火災への用心に心を配り、秋葉権現を勧請したという経緯があるのです。
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