映画『阿弥陀堂だより』の主な撮影場所となった飯山市福島瑞穂の山腹斜面には棚田地帯があります。住民の高齢化や過疎化で、ひと頃は耕作放棄地が増えましたが、最近になって地元の人びとや外来のヴォランティアの努力で水田の面積が回復してきました。


▲晩秋の福島瑞穂の棚田地帯 水田の縁や畔は石垣で支えられている。柿の実が晩秋の陽射しを受けて輝いている。


近隣小学校の児童が耕作する棚田▲


▲千曲川と飯山盆地を見おろす谷間に棚田地帯がある

▲初秋の陽射しを浴びる棚田の稲

▲棚田にのぼる農道は急勾配だ
▲中腹まで階段状に田圃が並んでいる

▲晩秋の陽射しを浴びる石仏

  やがて傾斜地の土壌保全や景観の文化的価値などの観点から棚田の修復・復元が課題として意識されるようになりました。映画『阿弥陀堂だより』でロケ地となった飯山市山間にある「日本の原風景」の美しさや文化的な価値への関心の高まりが追い風となったのかもしれません。

◆棚田の復元への道◆

  『農山漁村ナビ』の飯山市瑞穂の棚田景観復元についての記事によると、福島瑞穂の山腹斜面での水田開拓が始まったのは1661年だそうです。飯山藩の許可を得て、棚田での稲作農業への道が切り開かれたのです。
  千曲川河畔から福島棚田の最上部までの標高差は300メートル近くもあります。河畔の標高は300メートルで、山腹上部の標高は600メートルにもなります。灌漑用水の供給能力という点から見ると、幕末までに開墾されたのはせいぜい標高400メートル付近までではないでしょうか。


小学3・4年生が世話する田圃

  そう考えた理由は以下のとおりです。
  水田用の水は、この豪雪地帯ではほとんど雪解け水に依存することになります。田植え以降(夏)の水の確保が問題となるので、棚田の耕作面積には限界があるということです。しかも、冷たい雪解け水の温度を上げるためには、山裾まで曲がりくねった水路をつくって流路を長くする必要があったのです。
  水量と水温の難題は、棚田地帯の最上部に溜め池をつくるようになって解決しましたが、それは、昭和期になってからではないかと思います。

  それにしても、山腹斜面に階段状に圃場をつくって土壌を盛りつけ、石垣で補強して耕作可能にする作業や水路をつくる作業は、気が遠くなるほどに大変だったでしょう。
  そういう苦難を経て形成された棚田なのですが、昭和期末から平成期にかけて、政府の減反政策と地区の高齢化・過疎化のなかで耕作放棄地が増えていったようです。


棚田地帯の最上部の溜め池

蕎麦畑として復元した圃場もある

 

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