敷地と路面との高低差を支える石垣
中山道沿いの集落に住む古老の話では、毎時時代から昭和前期までの中山道の路面は「ラクダの背中」のように起伏が激しかったそうです。江戸時代にはブルドーザなどの重機械はなく、人の手だけで街道の開削や土盛りなどをおこないました。例外的に切通し工事をおこないましたが、地形改造の工作工事はすべて人力で、馬や牛などの家畜による牽引力と運搬力を補助として用いました。
したがって、自然地形の高低差や起伏に適応して街道を建設しました。山中の急斜面などでは、大雨での土砂の流下を防ぐために石畳を施しました。その時代の舗装と言えば、最も上等なもので石畳でした。
上の絵図は道筋に沿った断面で見た図で、近代になって中山道の路面の起伏を改修して均したため、旧中山道の路面・路盤に合わせてあった家屋の敷地と新たな路面・路盤とにあいだに高低差が生じた様子を示したものです。
下の図は、街道を横切った断面で見た図です。
上の図では、黄土色の部分が旧中山道の路面・路盤の状態を示しています。暗灰色の部分が、近代になって起伏を均したあとの路面・路盤の状態です。
旧中山道沿いの家屋は、だいたい、起伏に富んだ旧中山道の路面・路盤に合わせて人の手で敷地を――わずかに掘り下げて均した程度に――造成してありました。すると、近代になって、重機を用いて起伏を均して路面・路盤を均すように那智桝が、すると路面・路盤と敷地とのあいだに高低差が生じてしまいました。
この高低差を石垣で補強するようになりました。場合によっては、敷地に土盛りをして地盤を均すこともありました。