荒町通りから左折し本町を通り抜けた旧北国街道は、ほんまち遊子公園の西で右折北上し、丁子庵の前で左折西進し、養蓮寺の手前で左折南進して市町通りに出ます。この道筋が、本来の北国街道です。
というのも、15世紀末に街道の原型となった小径が鍋蓋城を迂回して造られ、その後江戸時代には、同じ場所で小諸城の東側の防壁となっていた城代家老屋敷を迂回して街道が整備されたからです。
この迂回路は幅の狭い小路のまま現在にいたっています。が、その分、往時の街道の面影を強く残しているように思われます。
加賀百万石の殿様の参覲交代の長い家臣団の列が、この迂回した街道筋を何度も曲がりくねって進んだのか…と思うと、何だか愉快な気持ちになりませんか。