上掲の図は、小諸城二ノ丸を南から見て描いた絵図の一部分です。
二ノ丸の石垣や石塁は、田切地形の崖を利用し、それを補強する形で築かれています。二ノ丸の東の端は、基部が天然の崖斜面のままになっていて、上部だけが石垣・石塁で補強されています。
石垣の前にある建造物は「水矢倉」で、二之門、二ノ丸、南丸などにいたる通路を扼し監視する役割を果たしていました。二之門へは緩い坂を上っていくようになっていました。
さて、二ノ丸には藩庁としての行政事務を執り行う庁舎としての二の丸御殿・書院がありました。石垣の上部は、建物の土台よりも高く積み上げられていて、防塁となっていました。この部分を石塁といいます。
石塁の上には矢狭間や鉄砲狭間を穿たれた分厚い土塀がめぐらされていました。そのため、内側の御殿は屋根の下が隠され、外部からは見えない構造になっていました。上の絵図は、二の丸御殿が石垣上部の石塁と土塀によって防御されていた仕組みを示しています。
ことに本丸は周囲を石塁によって囲まれていました。このように防塁としての石塁が囲繞する構造は帯曲輪と呼ばれています。このうち、馬場に面している幅の狭い石塁は、築地(土を盛り上げて打ち固めた土手)を石垣で補強したものです。