絵図の出典:松本城本丸 櫓門脇の説明掲示
江戸時代の松本城の縄張りを総掘の北東端から鳥瞰した景観を想定した絵図。⇒松本城の縄張り絵図を見る
松本城の縄張り図面を参照してみると、絵図のなかで堀の長さや幅の比率は実際のものに等しく正確に描かれているようです。ということは、松本城とその周囲では堀の面積は大きく水量は豊富で、あたかも「水の都」のごとくだったのです。そしてまた、城と城下町は周囲の山岳から豊かな水を与えられ、たいへんに美しい景観をなしていたといえます。
松本盆地には、城の近隣だけでも奈良井川、梓川、牛伏川、女鳥羽川、薄川が流れ込んで、この一帯に豊かな水を供給しながら合流し、犀川を形成しています。犀川は善光寺平らで千曲川に合流し、やがて県境を越えると信濃川と呼ばれるのです。日本一の大河をなしています。
城下の堀は松本平のこれらの主要河川と結びついていたので、城下町の商業・物流では、越後や奥信濃、善光寺平、安曇野などをむすんで水運・舟運が大きな役割を果たしていたと思われます。それは、松本城の戦略的優位をもたらしたことでしょう。
さて、この絵図にある丸番号が示す建物や名所を記しておきます。
@松本城天主群 A本丸御殿(藩主家族の生活や奥向き活動、藩主行政の業務や主要な儀式がおこなわれていた) B黒門 C二の丸御殿(藩庁の日常業務がおこなわれていた) D古山寺御殿(藩主家族の別邸で、本丸御殿焼失後には藩主邸となった)
E八千俵蔵 F若宮八幡社 G太鼓門 H内堀 I外堀 J西不明門(橋を渡ると馬出) K作事所 L北不明門(馬出に続く) M陽谷霊社 N葵馬場 O地蔵清水 P柳馬場 Q家老野々山邸 R東門 S馬出 ㉑大名小路 ㉒大手門 ㉓総堀 ㉔本町 ㉕中町 ㉖東町