赤沼をめぐる旅の案内絵地図

  この絵地図は、長沼のなかでも赤沼地区を詳しく案内するものです。
  赤沼は、長沼のなかでは千曲川の最も下流部に位置しているので、標高は一番低いところです。千曲川の対岸は小布施町です。先年の水害では、水没した深さが最も大きかった区域です。その分だけ長い期間、より深く浸水していたことになります。
  水害前まで残っていた古民家の数もこの区域が長沼で一番多かったかもしれません。旧街道沿いに歩くと、水害で壊れたであろう建物が解体撤去され空き地(更地)となった敷地の数と面積が一番多いような気がします。
  あるいは、そんな印象は集落の規模が大きいからかもしれません。
  赤沼は集落の北東部に広大な果樹園地帯を擁しています。リンゴ園に取り巻かれた村落という印象の区域です。
  標高が一番低いところではありますが、豊野方面の山間いからは最も近い区域なので、古代に河岸の農耕地や集落の開拓が始まったのが最も古いかもしれません。

  そう感じるのは、長沼で最も農村的な風貌が最も強く残るところであって、宅地化や商業化がほとんどおよばなかったように見えるからです。とはいえ、「経済の発達から取り残された」という印象はありません。というのも、赤沼は、養蚕や稲作からリンゴ果樹園と園芸農業への転換が信州で一番早く始まったところだからです。
  信州はもとより全国の都市部に向けた商品作物=リンゴを供給する近郊型の園芸農業は、この区域の農民に高度な栽培技術とともに遠隔地市場へのアクセスなど商業情報の獲得を可能にしました。その意味では、果樹園芸農業は、近現代の先進的な文化への接近をいち早くもたらしたともいえます。そのため、高度経済成長期からの過剰なコマーシャリぜイションに対して距離置く余裕があったように見えます。

広大なリンゴ園に囲まれて


▲長沼公園から東方の眺望: 彼方に志賀高原の横手山や笠ケ岳を望む

▲果樹園に取り巻かれた集落: 彼方には雪の飯縄山が見える

  左上の写真は2月後半に撮影した赤沼公園の東方の眺めです。果樹園が千曲川堤防を越えて広がっています。
  リンゴの樹々は冬枯れで枝や葉を伸ばしてない状態で、茶色または暗灰色に見えます。しかし、やがて一斉に緑の葉をつけ枝を伸ばし、あたかも森のような風景に一変するのです。
  目の前には千曲川が流れていて、その対岸は小布施町です。小布施町も庫裏やリンゴ、桃など果樹栽培が盛んな地区で、その和風の美しい和風の街並みで世界中から観光客を引き寄せてきました。
  赤沼を含む長沼地区も、小布施に劣らず和の趣きに満ちた家並み景観、里山風景を擁したところです。ただ観光情報の対外的発信をした経験に乏しいため、あまり知られていないのです。しかし、小布施に負けない景観と文化的資源を保有しています。
  この写真は赤沼から東方の風景を映したものです。彼方に続く山並みは志賀高原で、中央やや右側に笠ケ岳、その右に横手山など標高2000メートルを超える峰や稜線が続いています。
  一方、左下の写真は、千曲川堤防から西方を展望した風景です。中央部の大きな山頂部が飯縄山で、その右(北)に山頂部をのぞかせているのが黒姫山です。どちらも信越五岳、北信五岳に数えられる秀峰です。リンゴ果樹園に取り巻かれた集落の彼方に、雄大な山岳風景が広がっています。
  ことほどさように、東に志賀高原、西に北信五岳の秀峰群を見晴るかす美しい農村、これが長沼(赤沼)なのです。この地のリンゴなどの果物は、こうした山岳から吹き降ろす寒風を浴び、千曲川水系がもたらした豊かな土壌に育っているのです。