長沼城の堀・土塁・土塀の断面
上掲の絵図は、いずれも長沼城の縄張りや結構を示す絵図面です。 江戸時代前期の長沼城では、堀を囲む土塁は石垣ですっかり覆われていた構造だったかもしれません。とうのは、堀の基本構造は武田家支配の時代に築き上げられていたことと、城郭の面積がそれほど大規模なものではなかったからです。 とはいえ、長沼藩は領地の石高が1万数千石あまりでしたから、さほどの財力があったわけではありません。土塁は鉢巻土塁だったかもしれません。