長久保宿の辰野屋を探訪する
▲重厚な造りの町屋で、間口は11間もある
▲重厚な造りはこの通りで周囲に威風を払っている
▲出梁(出桁)を軒下から見ると…
▲出格子の下の縁側も隙間がない下張りがある
▲武家屋敷のような玄関。鎧下見張りの腰板で飾られている
▲出格子を支える持送りには装飾が施されている
▲北脇の小路は長安寺に続く参道になっている
現在の横町通りのほぼ中央部にあるのが辰野屋(竹重家)の町屋です。幕末の頃の建築だといわれています。
辰野屋は大きな旅籠でしたが、幕末には当主が蘭方医でもあったそうです。蘭方医は、学問研究・修養にも、外国からの書籍やら医療術具やらに大金がかかりましたから、富裕な商人の優秀な子弟が知識人として功成り遂げたということになるのかもしれません。
中山道の町屋としては、やや奥行きが小さのですが、その分、間口が11間もあって、床面積はきわめて大きな建物です。商家への課税額は間口の大きさに比例していましたから、竹重家はかなり富裕で大きな担税能力を備えていたということです。
途方もなくお金をかけた町屋です。
木材にも建築・装飾技術にも大金をかけて上質かつ入念につくられています。建物の隅々までじつに細やかな心配りがされていて、見えないところまで丁寧につくりこまれています。
町屋の特有の袖壁も、漆喰塗りで「うだつ」に近い堅固な造りになっています。おそらく隣の家屋との間には空間があったので、「うだつ」にはしないで、漆喰の袖壁に仕立てたものでしょう。
柱や梁は相当に太い木材で、風雨があたる外壁側には肌理が細かいヒノキかサワラが使われているように見受けられます。私のような素人でも、一見しただけで頑丈な造りであることがわかります。
出梁造りなので、一階の壁よりも二階の方が外側に出ていますが、その出梁は一軒ごとに太い木材を用いて万全の強度を保持しています。
そして、一階部分の出格子の出っ張り具合が大きくなっていて、これを支える持送りも一軒ごとに彫刻を施した分厚い材料にしてあります。この持送りは下にあるので、目立つ場所ではないのですが、きめ細かな配慮です。
芸術ではなく日常使う建物で実用性こそが求められますが、強度と品格・装飾性を同時に満たしているのです。長久保宿がいかに重要な位置を占め、また繁栄していたかを示す証拠です。
▲街道右側の白壁の家屋が辰野屋
▲中山道に面した家構え
玄関わきの壁には鎧下見張りの板腰壁が設えられていて、これまた品位と重厚さを感じさせる造りです。したがって、玄関もあたかも武家屋敷のような趣です。
一階部分の右側は、出格子の枠組みからさらに一尺下げられていて、都合に尺の奥行きですが、ここに宿入りや出立にさいして旅人の荷物を置いたのではないかと思われます。
その脇には、下の隙間をなくした縁側が設置されていて、宿入りする旅人が腰かけて脚絆や草鞋を脱いだり、出立する旅人が支度をしたものではないでしょうか。すごいサーヴィス精神です。