資料館となっている竪町の町屋
▲修復され交流館・資料館となった「一福処濱屋」
▲修復され資料館となった「まるきや」
▲修復され資料館となった「吾一」(小池家)
▲大喜納板の間の中央に囲炉裏がある
▲障子から明るい陽射しが入り込み、床板が輝いている
▲平土間の奥には台所用具などが棚に置かれている
▲畳張りの部屋が続く
▲平土間の奥の板の間。囲炉裏がある。
▲障子から陽射しが射し込む
▲吾一の二階から入り口を見る
▲畳敷きの居間には囲炉裏が切ってある。
▲今の隣の座敷。凝った造りの障子が印象的。
▲糸繰紀
▲機織機
▲天井なしの屋根裏の造り
■一福処濱屋の内部■
この町屋は、明治時代の旅籠建築で、総二階の出梁造りとなっています。
長窪宿の歴史関連資料を展示する場所ですが、来訪者の休憩所・交流拠点となっています。入館は無料ですが、冬場12月1日から3月31日までは休館(閉鎖)となっています。
内部の一階は、入り口側と北側が平土間で、その奥は板張りで囲炉裏が設えてあります。
土間には、明治から昭和までに使われていた台所用具や什器、作業用具などが展示されています。
旅籠つまり接客用施設として建てられたので、大変に手をかけた立派な造りになっています。
写真は、当時の家屋のなかの様子が体験できるように自然光だけで撮影してあります。
家屋の奥側は採光のために障子張りとなっていますが、表の街道側には縦繁格子が設置されているので、光はさほど入り込みません。したがって、かなり暗いため、障子際まで行かないと本は読めません。
■まるきやの内部■
「まるきや」については説明らしいものがないので、どういう職業の家屋だったのかわかりません。
とはいえ、家屋の規模や内部の造りなどから、常時来客に対応するような設えになっています。宿場町の年寄役を務めるほどの家格で、商売をしていたのではないでしょうか。
内部の造りや用具から見て、私の勝手な推測では、明治後期から昭和初期までのものではないかと思われます。
西側の妻沿いの土間▲
まだ修復直後のように見受けられます。今後、説明板などが加えられていくことでしょう
何かわかってきたら、このページの記事内容を改定していきます。
■吾一(小池家)の展示物■
吾一(小池家家屋)もまた近年に修復された町屋です。幕末期の建物です。
小池家は有力な農家ですが、兼業で馬の販売も手がけていたそうです。大農家は商人も兼ねていたのが江戸時代の通例です。
玄関には天保銭を模した粋な看板▲
二階にのぼる階段▲
多数の古文書▲
二階の展示物の能面と扇
農家とはいっても、水田や畑作だけでなく養蚕や製糸や織布、そして生糸や絹織物の地場での一手買付けと卸販売まで手がけていたと思われます。
内部の造りは田の字型の四間取りで、富裕な農家としては典型的な建築様式だとか。
小池家の文物の保存状態はきわめて良好なようで、たとえば玄関の看板は天保銭を模した粋なものです。
二階造りですが、入口の戸を入ってすぐ目の前に二階に行く階段があります。ただし、往時、階段がこの通りの造りだったかはわかりません。
二階には古文書や謡曲・能の道具や養蚕・蚕糸関係の用具が保存展示されています。
古文書や能楽用具などから見ると、相当に裕福で学芸に関する教養や習熟があったように見受けられます。