◆姫川を望む山腹台地の村落◆


姫川西岸をはしる国道148号から山腹段丘にある通集落を眺める


▲JR大糸線姫川第一橋梁

▲通の棚田:西向きの山腹段丘の緩やかな斜面に並ぶ水田

▲集落の入り口 おそらく農機具用だろう倉庫がある

▲ここから先は引き返すのもままならない狭い道

▲大きな結構の茅葺古民家:一番高い位置にある

▲一番谷寄りに立地する茅葺古民家

▲端正に保存されているが、普段は無住だという古民家

▲古民家の結構を保ちながら、改修された家屋

▲銅板を被せた屋根が朝の陽を受けて鈍く輝く

▲この家が最北端で、この先に家はない

▲谷沢の水を溜めた防火用水

▲沢の上流に何やらお堂が見える

小さなお堂。祀ってあるのは阿弥陀様か大日様か観音様か不明

◆山懐に抱かれて・・・◆

  JR大糸線姫川第一橋梁や姫川第2ダム・発電所がある場所の地籍は、白馬村北城とおりという地籍です。つまり、そこは通という村落があるわけです。
  地図やGoogleマップを見ると、たしかに青鬼集落に連絡する山道沿いに通という集落があります。鉄橋を渡ってから坂をのぼり、分岐点で青鬼に向かうのとは別の、そのまま北に向かう細い道を進むと、数百メートルで古民家が集まる集落に行き着きました。


  場所によっては大きな面積の水田もある

  通の村落は地図で見ると、岩戸山の西南端の尾根の西斜面にあって、青鬼集落とは尾根を挟んで反対側に位置しています。したがって、村から西側の谷底に姫川を見おろす位置にあります。5軒ほどの戸数の小さな村落です。しかも、古民家のなかには、現在人が住んでいないものもあるようです。
  対岸の国道からは、集落は山腹斜面にしがみついているように見えましたが、ここに来てみると、山腹段丘の台地は田畑ができるほどに平坦地――ただし段々状――があります。「山懐に抱かれる」というのは、まさにこういう地理的な配置を表すのだと、強く印象づけられました。
  JR大糸線がこの集落の西脇(谷の縁)を通っているのですが、深い樹林帯が集落とのあいだにあるので、列車が通らない限りは鉄道の存在にはまったく気がつきません。


  古民家の背後の山は姫川対岸の尾根

お堂の手前の石仏群」庚申塔や観音像など

お堂の名前は不明

内部には仏像が安置してある

  集落の一番東側の奥、集落を見おろす段には、小さなお堂があります。端正な姿のお堂で、内部には何か仏像が安置してあります。しかし、何かは不明で、このお堂の名称もわかりません。
  お堂の手前は、コンクリートで覆った防火用水で、その先には石仏群が並んでいます。
  このお堂は、もともとは茅葺寄棟造りだったと思われますが、銅板で屋根を覆ってある現在の形は、じつに奇妙です。というのは寄棟屋根の上の大棟の幅が、小さなお堂のものとしては比率が大きく、そのため入母屋造りの変形のように見えるのです。ひょっとしたら、入母屋造りはこんな風にして始まったのではないでしょうか。
  そんなお堂の前から集落を見おろしてみました。


お堂から集落を見おろす

何やらゆったりとした時間が流れる

棚田を古民家とお堂が取り囲むかたち

  この小さなお堂の前に立って集落を見おろしているときに、ふと心をよぎった想いがあります。
  大町や白馬、小谷などの地方の千国街道を取材するようになってから、私は山間の古民家集落に深く心惹かれるようになった、なぜだろうと。
  もともとは木曾路・中山道の古い街並みにインスパイアされのが、このウェブサイトを企画デザインするようになったきっかけです。古い家並みが大好きだから・・・
  結局のところ、消え去りゆきそうな家並み、街並み、古い道の痕跡などというものに、これほど心惹かれるのはなぜか。答えにはなりませんが、私はすでに滅び去ったもの、そして滅び去ろうとしているものに対して、限りない哀惜を感じるのです。

▼通の集落は鉄橋から400メートルほど北に位置しています▼

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