倉本熊野権現から道のりで約500メートル、標高で約30メートルのぼったこれまた急斜面に馬頭観音堂があります。往古からこの急斜面に観音堂があったそうですが、ただし馬頭観音を祀る小堂であったかどうかはわかりません。
  信州ではこのように峻険な地形の――典型は小諸市の釈尊寺の布引観音堂――場所に観音堂を建立することが多いようです。だいたい往古に密教(山岳)修験の霊場だったようです。熊野権現を祀った倉本もそのひとつだったようです。


◆山岳難所を巡歴する修行の場か◆



令和になってから観音堂は整備補修されたといいう、「あずまや」と観音堂。



▲地元の人たちだけが利用する林道脇の急斜面に観音堂がある


▲祭礼には村人が集まる場となっている


▲朽ちた堂舎の跡に建てられた「あずまや」。
 その脇に急斜面を直登する旧参道があった。


▲端正に補修された観音堂。流造りになっている。


▲大きな石が数多く露出している不思議な斜面


▲急斜面の岩棚にあるお堂


▲自然石に「馬頭観世音」という文字が刻まれた石仏


▲浮き彫りの観音が刻まれた石仏は比較的に新しい

 信州の各地の集落には、1970年頃まで、各住戸ごとに街道や村の辻などに石仏を奉納する風習がありました。倉本の住民の先祖のなかには、自ら修験僧(山伏)として、石仏を奉納してきた人びとがいたのではないでしょうか。


近年新たにつくられた観音堂詣りの参道

◆近年、整備補修された◆

  私は馬頭観音堂のありかがわからないで歩いているときに出会った住民にありかを尋ねたところ、ここまで案内してくれました。私と同年配だそうです。
  その人の話によると、馬頭観音堂は令和になってから、お堂だけでなく境内全体を整備補修したそうです。少なくとも、昭和期はずっと馬頭観音堂となっていたのだとか。
  倉本集落の住民は子どもの頃から、近隣の神仏を一体的にとらえて遊び場としたし、お参りにいったものだそうです。たとえば、池の尻の釈迦堂や立町の神明社などは身近な存在と感じてきたと語ってくれました。
  馬頭観音堂と境内の近年の整備補修については、村人が高齢化して、従来、お堂の真下の斜面から直登していた参道は傾斜がきつくて危険なので、新たに横からお詣りする傾斜の緩い――ただし狭い――参道をつくったのだとか。また境内に無造作に立てられていた石仏群を、施錠できる観音堂の内部に集めて保管するようにしたそうです。
  そして毎年春には、村人を集めて観音堂の祭礼が催されるのだとか。

◆昔から石仏が集まっていた◆


釈迦三尊か阿弥陀三尊の石仏


崖下に面し集落を見守っている

  撮影しながら境内をざっと調べて回ったところ、石仏は少なくとも十数基はあります。なかには近年に建立された牛頭観音もあります。馬頭ばとう牛頭ごずを対にしたのでしょうか。普通は牛頭天王(スサノオ神)とされています。
  まあ、神仏習合の格式は神仏の混淆をももたらすので、牛頭観音とする場合もあるようです。
  ここは急斜面で、圃場整備や道路整備のさいに石仏を移設する場所になりそうもない急斜面ですから、往古から修験者たちの活動で石仏群がここに集められたのではないでしょうか。
  集められた理由というか経緯としては、ここに山岳修行の場としての堂宇または堂庵があって、そこに巡礼したさいに奉納したか、自ら彫ったか、あるいは別の場所から移したということではないでしょうか。
  比叡山には天台の密教修験として「千日回峰」があり、熊野には「奥駈道修行」があるように、木曾の山岳にも尾根や峰をめぐる修行があったものと考えられます。


お堂内に収納保管されている石仏


岩陰のみを寄せているように立つ2基の馬頭観音

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