臨済宗妙心寺派の寝覚山の臨川寺は、江戸初期に尾張藩祖、義直によって中興再建されたそうです。木曾川岩壁の寝覚ノ床を寺域・寺領として管理し、景観や地形の保全に努めてきました。 ◆木曾では例外的な立地の寺院◆ |
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宝物館前から境内庭園の樹林越しに本堂を眺める |
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▲国道19号からこの山門をくぐって境内に入る ▲弁天堂の前から眺める本堂と庫裏(右手) ▲1712年(正徳2年)落慶の弁才天堂は上松町で最古の建築物 ▲寝覚ノ床のかつての中州の岩丘上にある浦島堂(弁天堂) ▲浦島寺としての臨川寺の宝物館 ▲三徳稲荷社殿 |
寝覚ノ床は林泉寺の境内寺域の一部として扱われています。境内への入場券=拝観料を払って臨川寺の山門をくぐり、寝覚ノ床の見学に赴くことになります。
岐蘇路が奈良時代に拓かれ、それが平安時代に廃れていくと木曾古道が開削されてきた動きは、山岳信仰・密教修験などの宗教文化と密接に結びついていたと考えられます。険阻な山岳が連なる木曾地方の各地には密教修験の拠点として寺院がつくられたのではないでしょうか。
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