平沢の町屋の配置と敷地内の仕組み
▲街道沿いの家屋の並び方
▲町割りの状態
■雁行する家並み■
平沢でも、奈良井と同じように街道の両側の町屋の敷地区画(町割り)は、間口が狭く奥行きが深い形になっています。
湾曲する街道の道なりに合わせて、町屋の並び方は、横から見た階段のような形状になっています。通りに面する壁面はほぼ平行になっているのです。
町割りによる敷地区画のなかに長方形の町屋を立てるるうえでは、こういう家屋の配置になるわけです。
■「あがもち」というスペース■
さらに、江戸時代の寛延年間(1749年)の大火の後、街の再建にあたって、尾張藩の命令によって道沿いの空間を広げて累焼を防ぐために、3尺ずつ家屋を後退させられました。
とはいえ、この後退したスペースは公共の道路ではなく、敷地の持ち主の持分となっていました。「わが持分」という意味で「吾が持」と呼ばれています。
その結果、今では道路の脇にスペースがあって、大変にすっきりした街並み景観をなしています。
■敷地内の仕組み■
さて、各戸の敷地内の様子も、下の図のように、木工漆芸が地場産業として盛んになった平沢に固有のものになっています。
街道に面した主屋(店舗や住居になっている)の内部またはその脇に敷地の奥に抜ける通路が設けられているのです。木工作業場や漆塗り作業場と行き来するためです。
主屋のすぐ裏手には屋根付きの渡りがあって、主屋から雨に当たらずに工房に行き来することもできます。そして、工房は、中央に通路となる空きがあって、これまた土蔵と容易に行き来できるようになっています。
土蔵は、厚い壁におおわれているので、年間を通じて温度と湿度が安定しています。これは漆塗り作業の品質を保つうえで必要な条件です。この土蔵は、敷地に裏手側も、搬出などのため出入りできるように、脇に通路となる空間があります。
そして、中庭には樹木植栽があって、くつろぎの場となっています。
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