野尻宿をめぐる旅案内絵地図

  上掲の絵地図は、大桑村観光協会が発行した野尻宿の案内絵地図で、文字を見やすくするため若干修正し情報の追加をしてあります。街歩きや近隣歩きの参考にしてください。
  このなかに「お社と石灯籠」が、街の南西部の郵便局の近くと北西の2か所にあります。これは、江戸時代から宿場を構成する地区ごとに祀られた小さな社で、秋葉社や八坂社、不動尊などが合祀されています。かつて野尻宿は、上町・本町・荒田の3地区(街区)から構成されていたそうです。
  町の南西の社と石灯籠が荒田区のもので、北西のものが上町のものです。石灯籠があるのは、江戸時代に妙覚寺ならびにこの寺が管理していた山腹の堂舎(神社や仏堂)への参道の起点となっていたからです。その頃、妙覚寺は広大な寺領・山林を所有していて、現在の妙覚寺境内から須佐王神社辺りまでを保有・管理していたようです。往時は須佐王神社は牛頭天王社と呼ばれていたと見られます。大桑小学校の敷地もおそらく妙覚寺の領地だったと思われます。このよう広大な領地のほとんどは明治政府によって没収されてしまいました。
  木曾路の南部の各宿場街では、背後に迫る山腹丘陵に禅宗の有力寺院があって、その時領内には牛頭天王社(スサノオを祀った神社)、熊野社などが置かれていました。これは木曾氏の統治がおよんだ集落に共通の特徴です。しかし、明治維新でこのような宗教文化の構造は壊されてしまったようです。

■野尻宿をめぐる旅 案内絵地図■

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