鹿嶋社仮宮から道のりにして600メートルほど東に離れた山腹に鹿嶋社本宮があります。JR須原駅の背後にある高台です。
そこは、横山(標高1408m)の山頂部稜線の中央から西に張り出した急峻な尾根の裾に位置しています。宿場町のなかにある鹿嶋社仮宮の主祭神タケミカヅチが祀られているのは、この本宮です。 ◆古い山岳修験の拠点だったか◆ |
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大杉の脇から鹿嶋社の境内を眺める。本宮社殿を中心にいくつもの境内社・摂社が衛星のように配置されている。 ご神木の大杉: 幹周りは8メートルで、樹齢はおおそ800年だと推定されている |
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▲街中の鹿嶋社仮宮からやってくる林道が参道になっている ▲北東向きに木材会社の製材所の脇を通る ▲大杉の下から境内参道となり大鳥居まで導く砂利道 ▲土蔵の先に大鳥居がある ▲拝殿前から鳥居を振り返る ▲針葉樹林に取り巻かれた社殿群 鹿嶋社の拝殿と奥の壇上の本殿は階段蓋殿で結ばれている▲ 西の壇上の香取社から境内と拝殿を見渡す▲ 最上部から香取社と土蔵を眺める▲ ▲山腹最上部には秋葉社が祀られている 須原宿には30以上もの旅籠があって、参覲交代の藩が停泊しないとき――年間200日はあったらしい――には、どのようにして経営をまかなっていたのか不可思議だが、ここが有力な寺社詣での場だったとすれば、納得がいく。 有力な禅刹があって、かつまた古来の山岳修験の系譜を受け継いだ信仰の拠点があったなら、多くの旅籠の経営は成り立つからだ。 |
■奈良時代に創建という伝承■ 境内の端に立つ説明板によると、鹿嶋社は768年に鎮座され、祭神は武甕槌(タケミカヅチ)ということです。奈良時代、東大寺が建立され廬毘舎那仏(大仏)が開眼された直後の時代です。
古代から中世までは、背後の峰、横山山頂に鹿嶋社の奥社があったと推定されます。山全体が修験の場だったようです。 ■境内内の摂社群を探る■ 廃仏毀釈によって境内の仏堂が配されたのち、さらに明治政府が財政危機を理由に祠堂合祀令を発し、明治末にこの境内神域に近隣一帯の小さな神社が集められました。
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