上掲の絵図「本丸の石塁と御殿」は、小諸城址本丸跡に残る石塁の全体構造とそのなかに建っていた本丸御殿の様子を描いた復元想像図です。残存する本丸御殿の図面を簡略化して描いています。ここでは、本丸御殿は大きなものが一棟だけあったという仮定で、比較的に簡単な設計の御殿を想像してみました。
「本丸のたぎり台地と石塁、御殿の基盤」の絵図は、たぎり台地上に位置する本丸の土塁と基盤の断面図です。
「二ノ丸の石垣・石塁と矢倉などの防御構造」の解説記事で示したように、石垣や石塁の上には土塀がめぐらせてありました。城郭内部の形状を外に見せないようにし、外部からの弓矢や鉄砲による攻撃から守るためです。
石塁の内側は盛り土をして、外側よりも高くなっています。それを土台・基盤として御殿が建てられていました。本丸は重厚な造りでしたが、おそらく一階構造で、建ての高さの大半は瓦屋根が占めていたと見られます。つまり、壁などの攻撃に脆い部分は隠されるような造りだったのです。
石塁の上に
鉄砲間や
矢間を穿った土塀をめぐらせて、御殿の屋根よりも下の部分は外からは見えにくくなっていたはずです。
石塁の端に天守台がありますが、それを築いた時期はすでに幕藩体制が固まった後だったので、おそらく幕府から天守の建築を認められなかったでしょう。天守台の上底面積は狭く、おそらく天守台にはせいぜい三層の物見櫓があっただけだったでしょう。とはいえ、天守の代用にはなったのではないでsとうか。