大塚古墳は広大な丘陵平原の真ん中にあって、北東方向に浅間山、南西方向に蓼科山を調合する場所にあります。古墳を築いた豪族は、雄大な風景に囲まれて永眠できることにどんな感懐を抱いたのでしょうか。 ◆雄大な風景のなかにたたずむ墳丘◆ |
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小諸市南端の丘陵に広がる水田地帯。そこに大塚古墳がある。右側の背景は残雪の蓼科山。 |
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▲古墳の北東方向には浅間山がそびえている ▲石室入り口の真横からの形状 ▲南東側から石室を見上げる ▲北西側からの姿を眺める ▲東側から説明板と墳丘を見上げる |
この古墳は7世紀前半に築かれてから1400年近くの間、広大な平原のなかに屹立していたそうです。
墳丘の傍らに立つ説明板によると、1934年に八幡一郎氏により実測され、さらに1884年に筑波大学によって測量がおこなわれたそうです。 |
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