蟠龍窟と西宮神社の上に切り立った岩棚があります。そこに2つの神社が祀られています。絶壁の縁に建てられた社殿が豊川稲荷社で、そこから少しのぼった段丘の裾に置かれた、蓋殿に覆われた小さな木製の祠が榊神社です。
  鹿曲川右岸にそそり立つ断崖を見せている尾根は松明山たいまつやまと呼ばれています。岩棚の奥には段丘があって、丸みを帯びた稜線に続いています。その岩棚は2つの神社の境内で、望月の榊祭りに使われる榊が2つの神社を取り巻くように何本か植えられています。私は、そこを「榊の岩棚」と呼ぶことにします。


◆榊が繁る岩棚上の豊川稲荷社を訪ねる◆



西宮神社の上の岩棚に見える赤い社殿は豊川稲荷社(撮影11月下旬)



▲「榊の岩棚」の上にのぼる50°以上の急傾斜の石段(撮影6月)


▲のぼるのが危険を感じる参道石段。岩稜をよじのぼるしかない。


▲豊川稲荷拝殿の少し変わった切妻破風向拝で、東を向いている。
拝殿は入母屋造り。しかし破風向拝は本殿に対して横向きになっている。岩棚は狭いので、向拝を横向きにするしかなかったらしい。


▲拝殿の内陣は、板敷きの舞殿、参集殿となっている


▲本殿は拝殿奥(南端)に置かれていて、北方を見張る位置関係


▲本殿尾祭壇の段には、小さな陶製の狐たちが並んでいる


▲県道166号が望月橋を渡る手前の岩壁の岩棚上に榊社と稲荷社がある


▲県道から稲荷社にのぼる参道は急傾斜で野草に覆われている

  西宮神社と蟠龍窟弁才天の上に垂直に切り立った懸崖のてっぺんは岩棚になっています。そこは松明山と呼ばれる岩稜の西端の縁です。この町の榊祭りでは、多数の松明が望月橋の上から鹿曲川に投げ落とされますが、おそらく昔は松明山の岩棚から投げ落とされたのだと思います。


石段の登り口に立つ豊川稲荷大明神の碑

高所恐怖症の人は足がすくむだろう

  しかし、夜の闇のなかでこの岩稜、岩棚に人びとが蝟集するのは、きわめて危険です。火をつけた松明を川に投げ落とす神事の起源は、おそらく修験者による荒業の護摩祈祷だと見られます。近代化とともに、そういう超絶的な風習がなくなったのでしょう。
  この岩棚上は、そういう宗教行事、信仰の形が催された場所なのです。そこに、榊祭りの本尊ともなった神社――いまは榊神社と呼ばれている――の小さな社殿と、崖っぷちに社殿がせり出しているような豊川稲荷社が隣り合う形で祀られているのです。榊神社が段丘上から稲荷社を見おろす位置関係になっています。


稲荷社の本殿の祭壇。扉は北に向かって開いている。

拝殿から真下に鹿曲川の渓流を見おろす

  ここに勧請された豊川稲荷の大元は、愛知県豊川市にある円福山豊川閣妙厳寺みょうごんじです。寺に祀られる秘仏吒枳尼真天だきにしんてんは、稲穂を担いだ姿から、一般には「豊川稲荷」の名で呼ばれるようになったそうです。つまりは、本来は神社でも稲荷でもない古代インドの守り神なのです。神仏習合という信仰構造のなかで、仏教とともに日本に伝来し、神道や稲荷信仰と混淆した外来の神です。
  してみると、この岩壁には、そういう古代インドから伝来した、本来は神社ではない古代インドの神々が、日本の自然信仰の神々と結びつけられて、社殿と鳥居などという神社の形式で祀られているのです。アジア大陸の東端の日本列島は、多種多様な信仰の吹き溜まり、つまり八百万の神々で満ちた土地なのです。


稲荷社のは城跡の方向に向いている

榊神社は望月の宿場街を見おろす


初冬、樹々の枯れ葉が積もった豊川稲荷・榊神社の参道。陽射しが強くて、北方向がハレイションに。

◆榊神社は榊祭り由緒の神社◆



豊川稲荷よりもひつつ上の岩棚から続く壇上に榊神社(蓋殿付き)が祀られている



▲本殿の樹の祠を蓋殿が覆っている。「榊の宮」と呼べそうだ。
 社殿の周りを榊の樹々が取り巻いている。岩棚上は榊の叢林になっているとも言える。榊祭りのたびに幼木苗が植えられるのかもしれない。


▲榊神社本殿:
 じつに端正な造りのお社で、庇の垂木は二重に施されている


▲外からも本殿をしっかり見て参拝できる風通しの良い蓋殿


  豊川稲荷社が配置された岩棚の上にもうひとつ岩棚とも呼べそうな段丘があります。さらにその上の丸みを帯びた尾根から続く段丘を整地して造成した壇上に榊神社があります。簡素な造りの蓋殿(覆い屋)のなかに安置されています。
  榊神社は、社号の通りに何本かの榊に取り巻かれています。その1本の根元には「榊祭り」の標柱が立てられているので、祭りに用いる枝を取る樹木なのでしょう。


この段丘の背後は風化で丸くなった尾根に続いている

常緑樹の榊は晩秋を迎えて輝く赤い実をつけている

  榊は、神棚や神殿に枝を供えるために用いられる常緑樹です。参拝や祭礼のさいに神殿の両側に飾られます。その光沢がある葉が、清新さや健全美を表すのだそうです。
  ことほどさように、榊は神社にとっては不可欠な捧げものであり、ご神木であり、命脈永続を願う象徴なのです。
  榊神社はつまりは「榊の宮」ということになります。望月宿はいく度も鹿曲川の水害に襲われ、また火災を被った経験があります。日々の生活の安全と街の繁栄や永続を求める人びとの願いは切実だったことでしょう。

  榊神社の脇の崖沿いの細道は、榊神社の背後に迫る尾根の付け根の広大な台地に連絡しています。そこは今、望月総合グラウンドになっています。その上の尾根筋は瓜生嶺から松明山山頂を経て胡桃沢嶺に連なっていて、峰ごとに望月城を補佐する城砦郡の跡(遺構)があります。

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