古い歴史を誇る今井には、長年にわたって人びとの信仰のよりどころとなってきた祈りの場があります。 とはいえその多くが、明治以降の時代の変遷のなかで、それ以前の歴史や伝統が断ち切られてしまっているようです。 ◆今井の観音堂と石仏群◆ |
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▲明治維新頃からの激変で今はこの観音堂だけが残されている。帰属していた寺院名もわからない。 ▲イチョウの古木の脇に並ぶ石仏群。観音堂と同じ敷地の隅に安置されている。 |
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▲明治期には学校の境内でもあった境内の西端に石仏群が並ぶ ▲観音堂の前に立つ枝垂れ桜と背後の今井区民センター ▲降雪後に陽光を浴びる観音堂。向拝は唐破風づくり。 ▲自動遊具の奥に並ぶ石仏・石塔・僧侶墓碑群 ▲多種多様な石仏・石塔がここに集められている |
諏訪盆地は、すさまじい変革と破壊としての明治維新の嵐が吹き荒れたところです。人びとの信仰が厚かった諏訪大社に対しても、明治政府の扇動によって、廃仏毀釈が民衆に強制され、神仏習合の伝統や仏教寺院に対する破壊が徹底されました。
神仏習合の伝統から切り離されて残された神社群も、それから数十年後に明治政府が発令した神社合祀令によって、各地区の有力な神社に強制的に統合され、本来の神域や境内は没収されて失われてしまいました。 |
◆天 神 社 |
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▲草地の中ほどに立つ天神社の石塔。傍らにはムクノキ。 ▲四隅に御柱が立ち、石の神を取り囲んでいる |
観音堂の境内と道を挟んで南側にだいたい50平方メートルくらいの長方形の草地があります。その中ほどに天神様の石塔が立っています。周囲には4本の御柱、桜とムクノキが立っています。 |
◆神社跡(道祖神・蠱玉神社・天神社) |
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▲3基の石塔(天神社・蠱玉神社・道祖神)が草地の西端に並ぶ ▲背後からのの眺め ▲街道を挟んで向かいの東端に立つ双体道祖神と中山道標柱 |
横河川を渡る直前の旧中山道の南脇に神社の境内があります。100平方メートルほどの台形の草地で、神社であることを示すのは3基並んでいる石塔です。草地の南端には「蠱玉神社」の標柱があるので、いまでは神社の跡(史跡)となっているようです。
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