今井集落の扇状地の緩やかな斜面に出る手前の尾根段丘崖にあるのが、石船観音です。脚足の疾病治癒に霊感あらたかだという伝説があります。この伝説は明治初期につくられたものだそうです。 ところが、境内は扇状地上部の段丘崖であることから、斜面から伏流水が流れ落ちています。水源があったことから、江戸時代にここに馬頭観音と水神社が祀られて信仰されてきたようです。


◆水源地の馬頭観音と石仏群◆



▲改造されて切通しとなった段丘崖の上が石船観音の境内。向かって左側に鳴沢の清水が流れ落ちている。

▲境内東脇の段丘から諏訪湖と岡谷を見渡す



▲本尊観音堂の上の段急に農業用水路が設けられている


▲馬頭観音を祀ったお堂。境内の最上部に位置している。


等高線に沿ってゆるい勾配で東に流れていく用水路▲
用水路は今井の北を通り上の原・長地に向かい、横河川に落ちるようだ。


▲観音堂の西脇に水源から引かれた清水が流れ落ちている


▲崖下の観音堂の門を見おろす。門は左右両翼がある幣拝殿風の形。


▲垂水の脇に並ぶ水神と馬頭観音。流路を守っている形。


▲急傾斜の境内を滝として流れ落ちる清水


▲御柱に囲繞された水神社。諏訪大神の威光のもとにある


▲観音堂にのぼる急な石段。傾斜は40°近くありそうだ。


▲熱心な信者が奉納した石仏・石神の列


▲唐破風の両側は諏訪社風の片拝殿の形だ。拝殿の内陣が参道になった?

  旧中山道脇の標柱に説明によると、「本尊馬頭観音が船の形をした白石の上に祀られているところから石船観音と呼ばれ、とくに足腰の弱い人に対して霊感あらたかであるといわれている。境内には鳴沢清水・・・が流れていて参拝者の喉を潤している」ということです。
  霊験の伝説は明治のはじめ頃に生まれたもので、足の悪い若者が祖母に背負われて、この馬頭観音に祈ったところ、近隣の温泉での療養を告げられ、その通りにすると足の不自由が快癒したそいう物語です。この出来事を機縁として、ここに石船観音が祀られることになったそうです。


観音堂の背後の水路が流れていく方向を見る

用水路は今井の北、上の原・長地に向かう

  史料はありませんが、鳴沢の清水を水源としてこの一帯に水田などの耕作地が開かれたのは、幕末から明治以降のことではないかと考えられます。灌漑用水路を開削するためにここの尾根を探査したときに、鳴沢清水の湧水を発見し、さらに奥、塩尻峠の東斜面に水源を発見したのではないでしょうか。
  鳴沢清水は、中山道脇に1丁ごとに安置されていた馬頭観音のひとつの脇に流れ落ちていたものと想像できます。この清水を手がかりに水田開発のための水源を探ったと見られます。したがって、今井村の人びとにとっては、貴重な水源のありかを教え導いてくれた馬頭観音に感謝し、篤く信仰したのでしょう。
  そのありがたさを、足の悪い若者が観音様の教えに導かれて疾病を克服する物語にしたのではないか、それが私の想像です。
  ところで、この段丘崖の反対側の尾根は勝弦峠・小野峠に続く山系に属しています。その峠の稜線高原にはゴルフ場があって、水源の汚染が懸念されています。しかし鳴沢清水は、横川山水系の伏流水が水源なので、安全だと思われます。
  そのことは、本尊の馬頭観音を安置している境内最上部のお堂の裏に回れば、明らかになります。お堂の背後の段丘をほぼ等高線に沿って灌漑用水路が流れているからです。この水源から流れを分けて、この境内に滝のように清水が流れ落ちているのです。


アカマツと倒木が滝沢を渡る桟となっている

水神社の脇に弥勒菩薩半跏思惟像が立つ

  石船観音の境内は、岩でできている段丘崖に設けられています。足腰の悪い人にとっては、参拝するには危険この上ない地形です。脚や足に疾病を持つ人たちは、境内の下で参拝するしかありません。ということからすると、足腰の疾病に対する霊験というのは、観音堂ができてから後に追加された尾鰭ではないか、という気がします。
  急傾斜の境内のいたるところに石仏や石神が置かれています。うねりながら流れる滝の畔や参道脇、水神社の周りににとくに目立ちます。
  現在では、ここは石船観音として説明され、信仰されているようですが、参道石段の登り口にある門は、諏訪大社に倣って唐破風の両翼に左右の幣拝殿を配した形状です。そして、主祭神は水神社です。人びとに水を恵み、水害を抑えてくれる龍神を祀る祠があります。
  ここは、神仏習合の時代の伝統が壊されずに残っている信仰の場なのです。明治維新の廃仏毀釈政策が撤回されたのちに、明治中期になってから、水神と観音を混淆して祀る形の境内となったということでしょうか。街道沿いに並ぶ馬頭観音だったことから、破壊の対象にはなることもなく、宗教施設・文化財として尊重される時代になったということでしょうか。


水神社の幣拝殿が観音堂の山門になっている?

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