崎田集落の千手院を訪ねる

■集落の中心部に残る古い寺院跡■

  佐久穂町穂積崎田の集落の中心部には、古い寺院の遺構のようなお堂が残され、周囲には境内跡のような草地や石仏が残っています。千手院跡ということです。
  お堂の脇の説明板によると、慧日山千手院は、黄檗宗という禅宗の寺院だそうです。隠元禅師の孫弟子、潮音によって延宝年間(1673~81年)に開山されたのだとか。百体観音像が置かれていることで有名です。
  百体の観音とは、西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音をこの地に勧請したことから、合計100体の観音仏が安置されたということを意味します。ここにお詣りすると、関東、西国、秩父の観音霊場を巡礼したことになるのだとか。開山僧の潮音の坐像もあるそうです。
  説明板によると、現在までに残っているのは、文化年間に補修されたものも含めて、82体だそうです。
  ところが、この寺院跡地に観音像も坐像もありません。おそらく地区の公民館や資料館に保管されているのだろうと考えられます。
⇒千手院という院号と観音菩薩に関する記事
  現在、ここに残されているのは観音堂と見られるお堂と、小屋のようにさらに小さな堂舎――地蔵堂か――だけです。お堂の背後には、石仏群が並んでいます。そのなかには、上部が太い円筒形の石塔の列もあります。それらは、明治以降昭和期までの歴代の禅庵主だった尼僧の墓標だと見られます。
  明治維新にさいして新政府は各地に総督を派遣して廃仏毀釈運動を強制しました。堂宇は破却され、寺院や神社が保有する領地や田畑は没収され、国有化後に民間に売却されました。破壊を免れた寺院も経営基盤を失って廃寺となったものも数えきれません。その過程で貴重な文物が失われました。
  崎田の千手院も明治以降、おそらく本堂や鐘楼、山門などは破却または撤去され、観音堂だけが残され、尼僧が細々と庵主を勤めてきたものと推定できます。
  上記の観音像のほかには寺の来歴に関する史料文物はないようです。寺に関する説話も伝承されていないようです。