◆浮島と石仏の近隣をめぐる散策 その2◆

万治の石仏 : 石仏の背後には山腹の急斜面が迫っている。ここは地形的に見ると、扇状地の扇の要の位置にある。
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砥川に架かる医王渡橋

◆万治の石仏◆


春宮の鳥居を西に折れた道路

  万治の石仏に詣でる参道は、春宮の入り口の鳥居前を左折して道路を西に歩き、医王渡橋を渡って右折したところにあります。往きは浮島から朱橋を渡るコースで、還りはこの参道から、という参詣経路がおススメです。

  この参道は砥川の右岸に設けられた小径で、砥川の清冽な水面を眺めながらそぞろに歩くとよいでしょう。浮島よりも高いところを通る道なので、川や浮島の様子をゆっくり観察できます。
  この辺りの地形を理解するためには、うってつけのコースです。
  舟形をした浮島は神社の境内をなしています。この島に生えている木々が小さな鎮守の森をなしています。樹下には小さな鳥居。鳥居をくぐると、正面(南東)方向に神社の社殿があり、その左手に万治の石仏の参道に渡る、これまた種の小橋が架けられています。

  参道の途中で振り返ると、早春のうららかな陽射しを跳ね返す砥川の流れ、その上に架かる医王渡橋の姿を見ることができました。この川は3キロメートル近く流れ下って諏訪湖に注ぎ出します。
  少し進むと、石灯籠を前に置いて石仏が鎮座している姿が見えてきます。

  私が訪ねた3月半ばには、この参道の脇に屋台用の小屋が2つ置いてありました。縁日あるいはそのほかの催事で、ここでお札とか縁起物を頒布したのではないかと想像しました。
  霊験あらたかな石仏と言われていて、縁日や催事にはたくさんの人びとが近郷や遠方からやって来るようです。

  ところで、この石仏の胸部には袈裟の模様のような不思議な文様が彫り込まれています【下の写真を参照】。
  この石仏は阿弥陀如来像だということになっています。
  ところが、胸部の袈裟の文様は、日、月、雲そして雷の4つの天文事象を表しているとか。しかも、右端には「逆まんじ」も彫り込まれています。
  これは真言密教や修験道が尊崇する大日如来を象徴する文様です。
  してみると、この石仏は阿弥陀信仰と大自然(山岳や大地や川など)を大日如来の顕現と見る思想とが融合したものと言えるでしょう。


医王渡橋を渡って川岸を右手に折れると、万治の石仏の参道

参道の途中で振り返ると: 砥川の左岸が浮島、奥が医王渡橋。

参道の途中から北を眺めると、石仏が鎮座
石仏の周囲は水田になっていて、毎年、田起こしや田植え、稲刈りや「はぜかけ」がおこなわれる。砥川の清冽な水で育つ米は、さぞや美味だろう。

参道脇には縁日で使った屋台小屋があった


阿弥陀如来だが、印を結んだ手腕の上には、大日如来信仰を示す文様も刻み込まれている


石仏の周囲は水田になっている。真夏、稲の穂が伸び始めた。

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