尾根裾は段丘崖になっている。
この崖に沿って鎌倉街道は通っていたようだ。 |
下諏訪町の秋宮界隈を取材していると、近隣住民から「若宮神社と再建された甲州街道を訪ねてみると面白いよ」と教えてもらいました。そこで、五官とか本郷、関谷という地区の奥の山裾を探訪してみました。
諏訪湖の北東方面には断層崖が横たわっています。中央構造線と糸魚川静岡構造線とが交差するこの地は、太古に大きな大地の変動を経験したとか。断層崖の急斜面に沿って、中世には鎌倉街道が走っていました。
今、その鎌倉街道が、若宮神社から山裾を巻くように1キロメートル余りの遊歩道として再現されています。工事は現在も進行中で、遊歩道の道のりは延びていきそうです。
再現された鎌倉街道の起点近くに、近年、若宮神社がこれまた再建されました。諏訪大社様式の神明造りの立派な社殿で、かなりの費用を要したものと見られます。
ここは、本郷から五官、関谷という地区の裏手で、諏訪盆地と湖を見おろす高台で、かつては地元の人びとは長い階段を登って若宮社にお詣りしたとか。
若宮とは一般に大和王権系の若い神を意味するのですが、下諏訪では諏訪大社の祭神、建御名方神の神子たちを祀っています。
それは、建御名方彦神別命、伊豆早雄命、妻科比売命、池生神、須波若彦神、片倉辺命、
蓼科神、八杵命、内県神、外県神、大県神、意岐萩命、妻岐萩命という13柱です。
これに加えて天照皇太神を合祀しているとか。
この神社のすぐ下に「五官」という地籍がありますが、それは大祝金刺氏(神官)に仕えた五官家(神官補佐役)がもともと居を構えていた場所だと言われています。その五官家が氏族の神として祀っていたのが、上記13柱の若宮でした。彼らは高台に若宮社を建立し、かつまた屋敷内にも祠を設けて祀っていたのでしょう。
新しい若宮神社社殿が再建されるまでは、かつての社殿はなく小さな四阿だけが残されていたそうです。しかし、若宮神社は下社秋宮と下諏訪の歴史にとって非常に重要なものであることが再確認されたため、この地区が資金を集めて社殿を再建し、参道石段を修復したのです。
さらに、鎌倉街道が本来あった位置に遊歩道を再建・再現しているのです。 |