
▲仁王門は1909年に火災で焼失、1990年に再建したという

▲桜並木の参道には、古代に塔頭支院が並んでいたのか

▲鐘楼門が山門となっている。古代には堂宇群があったか

▲常行念仏堂には阿弥陀如来が祀ってあったか

▲石段をのぼると尾根中腹の段郭上に本堂や庫裏がある

▲庫裏を背後の山際の裏庭から眺める

▲背後の宝物蔵から本堂の屋根を見おろす |

枝垂れ桜の樹林がある高台に仁王門がある
真言宗智山派の九品院蓮台寺は、737年(天平9年)、越智泰澄神融によって開山されたそうです。本尊は九品阿弥陀如来だとか。北信濃では最も古い密教修験道霊寺院のひとつです。
四阿山、米子山、妙徳山におよぶ一帯には、天台宗や真言宗が確立される以前からの山岳信仰にもとづく修験霊場がいくつもあったようです。役小角の山岳修験とか行基などの日本での初期仏教との結びつきも考えられる、きわめて貴重な歴史を擁する寺院と見られます。
空海が創始した真言密教の有力な拠点で、古代中国伝来の仏典や実用・学術書などの総合的な研究をおこなう学府のひとつでした。古代から寺の修行学僧が耕作地開拓や農村集落建設、農業経営技法、医療などを近隣民衆に伝授してきたことから、蓮台寺と僧たちは「九品阿弥陀如来」の使徒として「くんぶつさん」と呼ばれて親しまれていたようです。
山麓の仁王門の脇に立つ説明板によると、開創から平安末期までは、仁王門から本堂にいたる500メートルの間に7堂12院があったそうです。大日如来や阿弥陀如来、釈迦如来、観音菩薩などを祀る堂塔伽藍が聳え、塔頭支院が並ぶ、ちょっとした街集落となっていたようです。
ところが数度の火災によって堂宇を次々に失い、1120年には本堂と九品仏のうち8体を焼失してしまったのだとか。九品仏とは、9の等級の阿弥陀如来蔵で、どうやら救済の対象とする人の品格ごとに阿弥陀如来は異なった相で現れるという法理によるということらしいです。
それ以後、平安末期から江戸時代初期までは寺伝史料としては空白の時期となっているようです。
【再興再建の経緯】
・1694年(元禄7年)焼けた8体を再造立
・1710年(宝永末年)本堂と庫裏を再建立
・1720年(享保5年)常行年仏堂再建立
・1813年(天保10年)山門鐘楼門再建立
現住職によると、寺の背後に聳える太郎山を中心として北信濃での銅や金銀、水銀などの探鉱と鉱山開発、精錬を主導してきたため、貴金属の京洛への供給などをつうじて、大和王権中央と強い結びつきがあったようです。
東大寺の当初の廬舎那仏(大仏)の建立でも、この山の銅や水銀、金が用いられた可能性が高いのだとか。

江戸時代の造りを保っている本堂

住職が組み直した本堂前の石段参道
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