伊豆毛神社の呼称からして、この神社は出雲大社に関係する神社であることがわかります。9世紀に出雲大社からの分霊勧請によって創建されたという伝説があるそうです。
江戸時代前期までは出雲大社または出雲大明神と呼ばれていたようです。16世紀前半までは、現在地から北西に700メートル離れている八雲台という高台に神社があったそうです。今は伊豆毛神社は豊野東町北の高台にあります。 ◆やはり創建来歴は不明◆ |
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▲伊豆毛神社の境内参道入り口と大鳥居。左端の玉垣(石柵)の下の道が旧飯山街道。 ▲1523年に現在地に移する転前に神社があった八雲台の丘 |
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▲初冬の明るい陽射しが当たる大鳥居と参道 ▲晩秋の泉神社の拝殿。朝はケヤキやクヌギの叢林の日陰になる。 ▲ケヤキの大木はすっかり落葉して、境内にはまぶしい陽射しが当たる ▲拝殿の北側は社務所で南脇は用具倉庫 ▲社殿から少し離れて境内南端に土蔵もある ▲入母屋茅葺き屋根には金属板が葺いていある ▲境内北端、飯山街道脇の石段からも境内に入ることができる ▲東町から丘陵をのぼっていくと、伊豆毛神社の高台に出会う ▲八雲台古墳とその背後の神社・寺院跡。ここは謎とロマンに満ちている。 |
豊野の伊豆毛神社の起源は島根県の出雲大社であることは確かなようですが、出雲大社(いづもおおやしろ)そのものの起源や来歴は謎です。先頃、大和王権に対する国譲りの見返りに出雲大神のために天を衝くような巨大神殿が建造されたという『古事記』の物語を裏づける遺構が発見されたました。
社伝では、1523年(大永年間)に飯山街道脇の現在地に移設されるまで、出雲神社はこの地から700メートルほど北西にある八雲台という山腹高台にありました。その高台が「八雲台」と呼ばれていたのは大きな意味があります。
ところで、出雲神社があった八雲台史跡の南西端には、6世紀末につくられたと見られる八雲台古墳横穴石室の遺跡があります。この高台を含む600メートル四方の一帯は、遅くとも鎌倉時代には大きな寺院と神社が並ぶ聖域だったそうです。現在残っている墳墓は1基だけですが、往古このあたりには数多くの古墳>があったようです。 |