荻原集落の東の山裾に鹿嶋神社と香取神社を合祀した社があります。2つの神社は室町前期に創建した当時から合祀してあったそうです。 ◆荻原集落の起源につながる社か◆ |
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鹿嶋社と香取社は荻原集落の東側の山林にある。現在の参道はJR中央線の鉄路下のトンネルをくぐって木曾古道に向かう。 |
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▲線路脇を南に進む参道 ▲段丘をのぼって広葉樹林を縦断すて東に向かう ▲小さな谷を越える小さな鉄製の橋 ▲木曾古道跡の林道の先、北東方向に解題社殿が見える ▲昭和期に改築されたと思しき拝殿 ▲拝殿尾背後の石垣上に置かれた本殿(蓋殿) ▲拝殿の北脇には左から津島社、気比社、伊勢社が並ぶ ▲拝殿は神明風の切妻造り ▲拝殿とその背後の壇上の本殿と神社石塔 ▲拝殿尾背後の山林に並ぶ氏神としての山神社 |
◆鉄道建設が変えた地形と風景◆ 鹿嶋社と香取社に向かう参道入り口の目印として、旧街道沿いの家並みの中ほどに常夜灯が立っています。舗装道路の東傍らの石垣の上です。かつては石垣の下を東に向かう参道があったようですが、今は私有地のようになっています。
◆室町前期に勧請創建されたか◆ 境内にある説明板によると、古い社殿の棟札に天命元年(1784年)に鹿嶋神社と香取神社を修築または改築した旨が記してあったとか。現存の社殿は昭和期に改築された建物と見られます。神社の創建は室町前期だそうです。
真壁氏の城館や家臣団の屋敷地は、現在鉄道が敷設されている見通しの良い丘の上にあったと想像できます。ここにはJR東海の変電所があり、地形や地盤が安定していて、往古の館と家臣団集落をつくるには好適です。 ◆社殿と境内の様子◆
鹿嶋社も香取社も、大和王権の形成にかかわった神を祀る神明宮または神宮という格式で呼ばれる社なので、拝殿も本殿(蓋殿)も切妻の神明造りになっています。 |