旧中山道遊歩道を歩く
南木曽町役場から和合にいたる跨線橋の辺りから旧中山道の道筋がよくわからなくなります。そこで、木曾観光連盟が刊行しているガイド小冊子『信州木曽路 中山道を歩く』を頼りにして、旧中山道の痕跡を辿ってみました。 ◆旧中山道の痕跡を探して◆ |
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江戸時代の中山道の遺構を復元した遊歩道。小径の周囲は棚田跡。 |
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▲これだけの流水量の沢だが、名前が表示されていない ▲沢沿いの道路を25メートルくらいのぼってすぐ左折する ▲ゆるいカーヴから右手(東脇)の細い草道に入っていく ▲石垣の下の細い草道(畦道)を東に進む ▲舗装道路を横切ってツツジ庭園の脇の細い草道に入る ▲ツツジなどの植栽のなかの細道を往く ▲石積み段丘の下の草道を用水路沿いに進む ▲西に向かって草地を民家の手前まで降りていく ▲民家の前で右折、ふたたび向きを北に転じて草地を歩く ▲この先で舗装道路に合流し、そのまま北に向かう ▲西向きの段々畑のなかの道路を北に進む ▲ここで急な下り坂と民家の家庭菜園脇の道に分岐する ▲旧中山道は菜園脇の細道だ。プライヴァシーに注意! ▲南木曽小学校の石段通学路の昇り口に出る ▲土石流を防ぐための護岸工事が完成した梨子沢(梨子沢橋から) 江戸時代には、中山道は現在の梨子沢橋よりも100メートルくらい上流までのぼってから渓谷に降りて、狭い沢幅の地点に架けられた丸木橋を渡っていたと考えられます。沢が増水氾濫するたびごとに丸木橋は架け換えられたようです。頻繁な増水に備えて、簡便に(安いコストで)架け換えられる丸木橋にしていたのでしょう。 |
この記事の末尾にグーグルマップを掲載しましたが、そのマップでは道として登録されていない場所――棚田跡や草地、農耕のための私道など――を通るので、案内絵地図を掲載します。舗装された町道以上の格の道はグーグルマップに記載・識別されているので、それとこの絵地図を突き合わせて遊歩道の位置や方向をイメイジしてください。
現在は住宅地が造成されたり、小学校があるこの一帯は、以前、南木曽岳の西尾根の山腹に広がる樹林や棚田地帯があったところです。東から西に急斜面が続いてる地形です。したがって、旧中山道の遺構を復元してつくられた遊歩道は、等高線と並行に階段状の棚田の斜面の下を往く道筋になります。
さて、斜面のツツジ庭園脇を過ぎると、遊歩道は、またもや石垣の下を用水路に沿って往く細道になります。私が探索したときは、この細道は草刈りをしたばかりで、快適でした。
舗装道路を100メートルくらい北に進むと、民家の庭先というか家庭菜園を抜けるような細道と左側の急坂とに分岐します。私はその民家の高齢の女性に挨拶して、民家の前を通らせていただきました。遊歩道の標識は民家の前を通る細道が旧中山道だと告げています。
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田園のなかの中山道遊歩道 案内絵地図 |
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