宮ノ越下島の風景と地形


■下島から宮ノ越宿までの旧中山道をめぐる地形■

  上掲の写真は、宮ノ越下島一里塚跡から北に400~500メートルくらいの地点で南に向いて撮影した風景です。撮影地点は、木曾川左岸の水田地帯のなかです。

  画面中央の水沢山は、中央アルプス(木曽山脈)主峰の木曾駒ケ岳から北に十数キロ延びている稜線にある峰のひとつです。その手前の山並みは、水沢山から木曾谷に向かって伸びる尾根支脈群です。
  そういう山裾――水田地帯よりも数メートル高い河岸段丘の縁――を中山道は通っています。中山道よりも5~10メートルほど高い段丘崖の上をJR中央本線が通り、その上の丘陵山腹を国道19号が通っています。撮影時ちょうど中央本線の特急が走ってきました。
  撮影地点の水田地帯は、江戸時代はじめまでは木曾川河畔の低湿地で、山側から流れ下る無数の沢や河川によって形成されてきました。肥沃な氾濫原で、平安時代から水田と集落が開かれてきました。
  木曾川河畔としてはきわめて稀な、古代から開けた穀倉地帯で、であるがらこそ中原兼遠という豪族が台頭し、木曾源氏勢力を扶植することができたのでしょう。
  とはいえ、ごくたまに、そういう木曾川支流の渓流が蛇抜け(土石流)を起こしたり、木曾川が増水氾濫したりすれば、農耕地も集落もひとたまりもない地形環境でした。そこで、中山道と集落は、水田地帯よりも数メートル以上高い段丘面につくられたのです。

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