立派な本堂に引き寄せられるように大圓寺の境内に来てみると、本堂だけが置き忘れたかのように孤立しています。建てられてから年月は経ていないように見えます。無住となってしまい、本堂での法要だけがおこなわれるのでしょうか。
  境内西端の草地にはあまたの石仏が無造作に集められています。集落の街道脇からここに移されたのかもしれません。過去を物語る史跡のように。


◆野原と化した境内に本堂だけが屹立する◆



境内西端の草むらに無造作に集められた石仏や石塔の群。右手に蓮華を携える石仏は観音像か。



▲ひときわ高く屹立する大圓寺本堂の屋根に心惹かれる


▲中山道から北に入る小径が参道で、奥に1対の門柱が並ぶ


▲寺の堂宇はこの本道だけ。本堂の前には駐車場と草地が広がる


▲本堂の裏手: かつては庫裏や提案があったのだろうか


▲境内は風致公園のようで、東端にあずまやと古い集会所がある


▲小さなお堂はすっかり荒廃している

▲仏像はなく「開運国造菩薩」と墨書された板がある


▲左側の小堂は壊れた石仏のが蓋殿となっている 。
 その脇に法華塔があることから、寺の前身は天台密教の拠点だったか。

◆本堂のほかに堂宇はなし◆


急斜面の畑作地の上の段丘高台が境内だ

馬頭観音等の背後が大圓寺の境内

  超立山良照院大圓寺の本堂はじつに立派で、遠くからでも眺めることができます。ところが、高くそびえる屋根に惹かれて寺の境内までやってきたのですが、境内と呼べる雰囲気ではなく、野原だけの風致公園(公共の広場)みたいになっています。
  博物館のような立派な本堂だけで、ほかに庫裏や伽藍などの堂宇はありません。あるのは集会場のような平屋とあずまや、トタン屋根だけの鉄骨バラックだけです。しかし、草は丁寧に刈り取ってあります。
  草原の西端には小さな祠堂がふたつありますが、すでにかなり荒廃しています。小堂の周りには一群の石仏や石塔が立っていて、かつて多くの人びとがここに来て祈りを捧げたであろうことが見て取れます。


広壮な総二階の家屋は養蚕に適していた


▲総二階造りの大棟に載せた通風孔の小屋根。
養蚕向けの構造を保って修築したようだ。

◆謎の来歴を想像する・・・◆

  大圓寺は現在は浄土宗の寺院です。御馬寄集落は、この村の建設が始まった16世紀の後葉には開基創建されたものと考えられます。
  すくなくとも400年ほどはあると見られる歴史をもつ寺であれば、栄枯盛衰や宗旨の変化もあるのは普通です。江戸時代のはじめまでに、前身の寺が衰微日て浄土宗の僧たちによって再興再建された寺かもしれません。
  そう推定する理由は、境内西端に残る石塔・石仏群が古代の密教寺院に起源をもつと見られる――法華塔や観音、虚空蔵菩薩など多様な経典や仏への帰依が見られる――からであり、また、集落のなかの道脇にはいくつもの大日如来の石仏が残されているからです。
  集落の北方には御牧原台地があって、そこには古代から官牧(望月の牧)があって、近隣には大和王権を鎮護する天台や真言の有力な密教寺院があったであろうことも、創建が得る背景のひとつです。


境内北端の樹林は段丘崖の上にある

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