今回は長坂をのぼり、さらに瓜生坂をのぼりながら、中山道の道筋と遺構を探索します。急坂なので、瓜生坂をのぼったところで、一休みし、そこから一里塚跡に向かって150メートルほど歩きます。 ◆長坂から瓜生坂へと中山道をたどる◆ |
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瓜生坂ののぼり道: 100メートルほど続く小径で、山中だが安全なところ |
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▲国道166号の擁壁の下を往く中山道長坂: 谷間を切通した細道だ ▲中山道と国道との合流点 ▲瓜生坂ののぼり口の案内板。ここまでは舗装してある。 ▲ここから山林の落ち葉が堆積してフカフカの路面となる ▲この土手盛り土は江戸時代からあるらしい ▲地元の人たちの努力で旧街道の草が刈られていて歩きやすい ▲クヌギやコナラなどの枝が張り出して緑のトンネルになっている ▲馬頭観音は2体あって、ひとつは寝ている ▲急斜面の上に石塔が見える。これが峠の頂部だ。 ▲あの石塔までのぼると、道は水平になる ▲瓜生峠の最高地点に向かう最後の急坂 ▲右の石碑は瓜生坂の碑、その左側には石仏。左端は「念仏百万遍塔 普門品一万巻」と刻まれている。 ▲百万遍念仏塔を詳しく見ると・・・小さな仏像が掘り込んである ▲念仏碑越しに、急斜面の下、瓜生坂がある谷間の窪地を眺める 瓜生峠の茶屋はこの窪地にあったとも考えられる 往時、瓜生峠の頂部には仮設小屋の茶屋があったと伝えられている。跡地と考えられる候補地は2つある。ひとつは切道し手前の狭い平坦地で、もうひとつはその下の窪地。窪地の方は、現在、耕作放棄地の草原で、開墾されたのは昭和期になってからかもしれない。 ところで、このような峠越えの街道の整備や冬場の雪かきなどには、幕府道中奉行の指示を受けた藩命で、下級藩士・足軽や近隣農民、宿場住民がそのつど狩り出され、大きな負担となっていた。そのために、宿場街や近隣農村ごとに組合を組織していたという。 |
長坂石仏群から瓜生峠にのぼっていく長坂は、県道166号の擁壁の下を往く道です。右手に国道を見上げてのぼる急坂ですが、200メートル先で、国道と合流します。国道は曲がりくねって、瓜生峠を越えていく舗装道路です。
長坂と瓜生坂の急勾配の部分は、雨などによる土砂の流下を防ぐために石畳になっていたかもしれません。そういう部分は今、コンクリートやアスファルトの舗装となっているようです。
このような旧街道の石仏、野仏は、近隣の集落の住民たちが、自らの費用で石工に注文して彫ってもらって、街道や集落のしかるべき道端に奉納するのだそうです。そういう風習は1970年頃までは保たれていたようです。家ごとに代々、石仏を奉納安置する場所が決まっていたのだとか。
この塔を詳しく見ると、小さな石仏が左右2つ彫り込んであるようです。向かって右の石仏については、浮彫なのか、それとも、手に乗るほど小さな石仏を碑の窪みに嵌入してあるのか、判別不能です。思ったよりも手がかけられた造りです。
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