中山道八幡宿の宿駅の呼称のもとになったのが八幡神社だと伝えられています。この神社が八幡社と呼ばれるようになったのは鎌倉時代で、それよりもはるかに古くから神社はあったそうです。
八幡社の先進は「高良社」という社だったのですが、さらに古い時代には「高麗社」と呼ばれていたと伝えられています。古墳時代に渡来した人びとが、遠い故郷の祖霊を祀ったと見られています。彼らは、御牧原で大陸系の馬を育て、大和王権に献納していた人びとだったとか。 ◆「武為戈止」◆ |
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八幡宿という宿駅名のもとになったという八幡社の随神門 |
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▲八幡社随神門の扁額には「武為戈止」と記されている ▲小松宮彰人親王による扁額の解題 |
随神門の扁額には「武為戈止」と刻まれています。書き下し文にすると、「武は戈を止めるものなり」です。これは、武という漢字の成り立ちとして、弐+戈+止ということで、3つの部分からなっているということから,
干戈をまじえる戦いを止めることが、政治権力としての武(軍事力)の役割=意味であると説いたものです。 |
上記の解釈のほかに、止は「進む・歩む」という意味ももつので、「戈を携えて前に進む」という意味とする解釈もあります。これは、死を覚悟して大切なものを護る決意と覚悟、準備を意味するということだとか。 |