▲青木湖西岸、青木集落の風景 湖面から観音堂までの標高差は30メートル近く、観音頭から水神社までの標高差は40メートルほどある。


▲湖岸の段丘上から観音頭を見おろす


▲千国街道の脇にたつ小ぶりな観音頭

▲観音堂前の庚申塔と石仏群

  ▲お堂の内部の須弥壇と厨子:聖観音像が安置されているという
▲塩の道は「祈りの道」 街道沿いに歩いて堂舎詣でができる

▲お堂に下にはハルニレの巨木2本が立つ

◆由緒や来歴は謎◆

  北安曇は松本藩領だったので、明治維新で過剰に明治新政府を忖度した松本藩が極端な廃仏毀釈を推し進めて、寺院や仏像などの文物を加配しました。そのため、寺の堂宇ばかりか遺構を探るための文書も失われてしまいました。
  堂崎観音堂もまた、その由緒や来歴がまったくわかりません。ともあれ、お堂に祀られているのは聖観音像だそうです。
  青木湖の水位がもっと高かった往古には、この観音堂は山の中腹のより標高の高いところにあったとも伝えられています。
  幕末までは、お堂は集落の北側の崖錐尾根の麓から湖に突き出た岬にあったそうです。この岬は、観音堂があるので堂崎と呼ばれていました。


思う脇から西側の尾根を眺める

  大町市を中心とする地域では、江戸時代後期から幕末にかけて、有力寺院の住持たちの発案で、仁科三十三ケ観音霊場めぐりという堂舎詣での観光コースができあがりました。日本ではその頃にお寺の観光マーケティングがあったのです。この霊場めぐりの15番目が青木の堂崎観音堂だったそうです。
  この観音堂は仁科霊場めぐりでは最北端に位置するそうです。


南下する千国街道の東脇に観音堂がある

前の記事へ || 次の記事へへ |