大町大黒町の北端にある追分から三日町に入り、東の山にのぼるスノーシェルターを抜けると旧大町街道に入ります。美麻村と小川村を経由して長野善光寺または戸隠神社に向かう古道です。 現在の通称大町街道は県道31号ですが、古来の大町街道はだいたい県道394号から487号となっていて、万仲集落――道の駅ぽかぽかランド美麻――で県道31号に連絡する林道のような山中の道です。


◆山間の集落を結ぶ道◆

 
大塩の静の桜公園のイヌザクラは2021年に根元が腐朽して倒れてしまった



▲高台の縁は段丘崖で、その下はかつて棚田があった


▲根はすかkり普及して老樹を支えられなかったようだ


▲金熊川の水源は小さな湿源になっていて木道が通路


▲静御前の霊を祀るのか、石灯籠のような墓塔


▲藤棚の背後には小さな薬師堂がある


▲山間を北に向かう県道497号


▲大塩の辻脇の給斜面に並ぶ大黒天と石仏


▲宮之脇地区の富士浅間神社の境内にのぼる石段
 伝承では9世紀半ばの勧請分霊・創建で、祭神はコノハナサクヤだという。


▲広壮で重厚な造りの富士浅間神社の神楽殿


▲宮の脇地区に残っている家屋


▲日当たりの良い広壮な家屋は養蚕向けの造りか


耕作放棄地になった棚田が園地となっている

  三日町集落から霊松寺山の中腹の谷間を東に向かうと県道394号のスノーシェルターに入ります。急斜面の道路です。それを抜けて北に進み、谷間のつづら折りの道をおおむね東に向かうと大塩地区に入ります。そこで県道497号に出て「静の桜公園」に寄ることにしましょう。
  公園には2021年まで「静の桜」と呼ばれるイヌザクラの老樹が立っていたのですが、その年、根元の腐朽が進んで倒れてしまいました。静御前が奥州に逃れた源義経に会うためここを通ったときに突いた杖が根付いたという伝説が残るイヌザクラです。伝説は架空の物語でしょうが、それくらいに古いということで、樹齢は800年以上と言われていました。

  大塩の村落は大町街道の中継拠点だったようです。というのは、高札場があったらしいからです。転封0年頃、おそらく松本藩郡奉行が掲げさせたもの――偽銭や偽薬の取引を厳禁するという内容――で、近年復元したものだそうです。


復元された高札場。背後は老人施設。

  静香の桜公園は、金熊川の源流部の湿原の近くのなだらかな丘の上にあります。周囲の耕作放棄地となった棚田を含めて草原と叢林が園地で、石仏群や小さな薬師堂、発覚絵巻堂が置かれています。江戸時代中期に村人が、静御前の霊を祀るために石仏や薬師堂・祠堂を建立したと伝えられているのだとか。
  イヌザクラはソメイヨシノやヤマザクラとはまったく見た目が異なる樹木です。花弁は非常に小さくて目立つことはなく、ひとまとまりの房になっていてます。


八角絵巻堂は物語絵巻が八面に描かれている

  大塩集落は、大町から八坂村を経て犀川を越え、大岡村方面と善光寺街道に連絡する道と小川村、戸隠に向かう大町街道が交差する場所でした。
  県道497号と394号が交差する十字路は往古、村の中心部だったのかもしれません。辻の近くに神仏習合の格式のもとで一体化した寺院と神社があったような印象を受けます。その名残なのか、辻の北東の段丘崖には大黒天と石仏が祀られています。
  旧大町街道は大塩から金熊川の渓谷に沿って北に進み、次の中継点は富士浅間神社と宮の脇の村落ということになります。この村落は大塩村の支郷というか開拓地だったのかもしれません。
  ここには今では住民がごく少なくなっていますが、昭和中期まで豊かな農村集落があったようです。というのは家々を見おろす高台の上に富士浅間神社の社殿群と楽殿と呼ばれた大きな造りの神楽殿があるからです。これだけの神社を維持してきたのですから。
  ここには今は無住になってしまった主屋や土蔵がいくつも保存されていて、北アルプス国際芸術祭の展示会場のひとつになっています。
  庵の背後、石垣の下には馬頭観音などの石仏とともに、歴代庵主(たぶん尼僧)の墓標が並んでいます。幕末までは庵主が村の子どもたちに手習を指導していたのかもしれません。おそらく明治末~大正期までは、庵を護っていた尼僧がいたようです。
  庵の前の旧街道脇に建っているの石塔は、向かって左が東国・西国・秩父の観音霊場をめぐった講中の人びとが建てた百番供養塔で、右が庚申塔です。


富士仙岩神社の拝殿


集落の古民家蔵は作品の展示場

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