原野の木曾川右岸の山腹に明星岩という大きな岩がそそり立っています。古くから人びとの信仰の対象、祈りの場となってきたそうです。
  平安時代末期、近隣には洗林寺という真言密教の寺院があったと伝えられているので、この奇岩もまた山岳修験の場だったと見られます。今回は木曾川の岸辺から尾根の急斜面をのぼって、明星岩を訪ね探ることにします。


◆山岳信仰の象徴だった奇岩◆



大きな岩の基底部に並ぶ石神や石仏、祠など



▲八幡宮のの境内から無佐沢川の谷間に向かう竹藪の道


▲木曾川河畔のヒノキ林を往く小径


▲木曾川左岸から右岸に渡る小さな鉄の橋


▲木曾川右岸の畔を往く崖下の道


▲急斜面をのぼる登山道には落ち葉が積もっている


▲高度で100メートルくらい登ると屹立する大岩が見えてくる


▲明星岩を御神体とする神社・神域として祀られている


▲岩の基底部に立ち並ぶ石神や石仏。奥には木製の社殿も。


岩の頂部を見上げてみる


▲境内のような平場があって、ベンチも置かれている


橋の上流の風景


端の下流部の様子

◆原野八幡宮からの参道を往く◆

  原野八幡宮の鳥居の脇から西向きに無佐沢川の谷間の樹林に降りていく小径を見つけました。明星岩に近づける経路はこれ以外になさそうです。
  最近は訪れる人もないようで、道は荒れ放題という感じです。まず竹藪のなかを進み、畑の跡(耕作放棄地)らしい荒れた草地の脇を歩いて、流水があまりない渓流の縁に出ます。無佐沢川が木曾川に注ぎ出す地点で、そこから木曾川左岸の針葉樹林を進むと、鉄製の小さな橋が見つかります。
  明星岩は対岸の急斜面の中腹にあるので、この粗末な橋を渡るしかなさそうです。尾根斜面は木曾川に険しい崖のような山腹斜面を落とし込んでいます。「落石注意!」の警告板が気になりますが、進むしかない。



木曾川河床には大きな岩が転がっている



流れる清冽な水

  右岸の崖下の岸辺にある細道を30メートルほど進むと、つづら折れにのぼる登山道があります。斜度は30°以上、ところによっては40°を越える崖斜面にクヌギやコナラ、ケヤキなどの落葉が降り積もっています。斜面は落ち葉が降り積もって滑落しやすく、初冬に来たことを公開しましたが、これも挑戦、行けるところまで行こうと決心。
  木曾川の岸辺は標高850メートルくらいで、明星岩の基底部は950メートルくらいはありそうです。こんな危険な急斜面を標高差で100メートルあまりものぼれるだろうか、不安でいっぱいです。
  あと半年で70歳になる私は、登山道脇に見つけた枯れ枝を杖としたものの、数分も持たずにすぐに息が上がります。10回ほど休憩を取って、どうにか岩の根元までたどり着きました。下り道の危険をを考えて、登山道のところどころに杖で枯れ葉を払って目印と滑り止めの露出地面をつくりながらの登山でした。25分はかかったでしょう。

◆神仏習合の山岳修験の場だったか◆

  以前、地元の人には展望は開けた岩の頂上までのぼることを勧められたのですが、雪が舞う天候で厚い雲が垂れこめていて木曾駒ケ岳は見えそうもなく、しかも体力が尽きかけているところに頂上への道は非常に険しいので、登頂は諦めました。
  さて、岩の基底部には幅3~4メートルくらいの平坦地があって、ベンチも置いてあります。岩の根元に並ぶ石神としては三笠山刀利天、大頭羅神王、普寛神など御嶽山信仰にまるわるもの、摩利支天、駒ケ岳神社、このほかに不動明王などで、神仏習合の山岳信仰や密教修験にかかわるものです。
  地元の年配者によると、明星岩よりもさらに上の尾根筋近くにも大きな岩が突出していて、古くから信仰の対象になってきたそうです。巨大な山塊全体が密教修験の場だったと見られます。



右手前は御嶽山の三神を祀る石塔、奥は不動明王

  ところで、明星岩への登山道は、無佐沢川が木曾川に注ぐ地点から始まります。無佐沢川の河畔には八幡宮が祀られ、その上流部には平安時代に洗林寺という真言密教の寺院があったと見られます。
  古来から人びとは、無佐沢川がなにやら神域や寺域の畔を流れ下る特別な存在のように感じてきたのではないでしょうか.

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