高野町の千曲川右岸に東町通りと呼ばれる街並みがあります。この通りは、旧武州道の遺構に沿った古い商店街で、大正期から昭和期まで大いに栄えました。
  武州道は一般民衆がつくった道で、武蔵国秩父から上州を経て十国峠を越えて信州に入ります。それから大日方を経由して海瀬の四ツ谷の辻に達し、そこから千曲川右岸を北に進んで岩村田にいたる道です。 今回の旅では、国道462号の四ツ谷の交差点から千曲川右岸を往く旧街道に沿って入沢の六地蔵とう跡まで歩きます。


◆大正~昭和期に繁栄を誇った商店街◆


海瀬四ツ谷の水田地帯から街並みの南西の彼方に望む、硫黄岳から横岳までの八ケ岳連峰


武州道と平林観音への参道とが出会い分岐する尾根突端の下に祀られた石仏群から北に望む浅間山
抜井川が増水して四ツ谷の辻から高野町に入れない場合に山裾から平林に連絡する武州道の脇道があった





▲海瀬四ツ谷の旧街道沿いの家並み


▲敷地が広く豪壮な主屋や土蔵、長屋門が目を引く


▲旧街道は抜井川の谷間に降りていく


▲醤油醸造業の重厚な工房兼店舗古民家


▲醤油醸造蔵の脇の草地は寺院の跡地か


▲江戸時代の四ツ谷の辻はこのT字路ではないだろうか

 ここまで武州道は抜井川に沿って谷間をやって来たらしい。今でも電柱の脇に石仏が置かれているが、それがが追分(分岐点)の見印だったようだ。

▲ここから街道沿いに高野町東町の繁華な商店街があった


▲シャッターが閉まったままの店舗跡も目立つ


▲東町交差点: 映画館の跡地は東町公会場になった


▲入沢の広壮な屋敷は亜土時代の村役人宅か


▲六地蔵幢と呼ばれる石仏群が並ぶ街道脇

◆旧武州道沿いの家並み◆

  今回の旅では、武州道が千曲川右岸の道に出合う海瀬四ツ谷の辻を出発点にしようと考えたのですが、その辻がどこだかわかりません。目立つような遺構や痕跡が見つからないのです。そこで、国道462号の四ツ谷交差点から北に歩くことにしました。

  武州道(武州街道)は、岩村田から海瀬四ツ谷までは千曲川東岸を往く佐久甲州道の脇往還と重なっています。今回探索するのは、旧武州道沿いのおよそ2.2キロメートルの道のりで、海瀬四ツ谷と高野町東町、平林、入沢という4つの地区が連なっています。
  この区間でかつて中心街となっていた高野町東町通りは、JR小海線の羽黒下駅が最寄で、千手院観音堂がある平林集落に隣接しています。
  東町通りの街並みが成長したのは大正時代からです。1815年(大正4年)の羽黒下駅が開設されてから商店街ができ始め、やがて旧街道沿いに隙間なく店舗が立ち並ぶようになったのです。鉄道開通後に林業(材木問屋・製材業)が繁栄したため、歓楽街もできて、芸者置屋が繁盛したそうです。東町交差点の角には、1930年(昭和5年)に建てられた映画館「栄キネマ」があり、近隣住民の娯楽の中心だったとか。


これも鞘腫醸造業者の土蔵だったか

  海瀬四ツ谷と平林の両地区は、どちらかというと東町の郊外に位置する豊かな農村的な集落だったようです。そして、平林には大正から昭和前期に山林を利用した材木問屋や製材業者が栄えていた痕跡が色濃く残っています。歓楽街を支えた富裕な旦那衆は材木問屋だったのではないでしょうか。
  ところが、1980年代後半(昭和末期)からは少子高齢化や過疎化が進み、現在は、全体として東町通りには閉店閉鎖して老朽化した店舗が軒を連ねているような印象です。一方で、古びた伝統的な街並みの風情を好む若い世代が新たに店舗を開く動きも少しずつ始まっているように見えます。


T字路辻脇の石仏は追分(分岐点)の目印か


昭和期の店舗古民家が今でも残っている

  高野町や上畑、海瀬などの人口を考えると明治以降、昭和期まで、旧高野宿は農村的な集落になって商業集積を失っていき、東町通りがこの一帯での商業や娯楽の中心地となっていたと見られます。


常夜灯と石仏・石塔が立つのは参道への分岐点

  ところで武州道は、自国峠から千曲川の支流、抜井川の峡谷に沿って千曲川との合流地まで降りて往く道です。その合流点から2キロメートルほど遡った海瀬川久保では、依知川が抜井川に合流していますが、そこから谷間をたどり、余地峠を越えて上州に向かう往還が分岐しています。
  海瀬の辺りから北には、関東山地という背骨から肋骨のように西に延びる尾根が連なっています。これらの尾根の合い間に開けた谷間と集落が、武州道を北に進むごとに武州道に連絡しています。これらの地域には集落ごとに林産品などの特産物があって、副業としての養蚕も発達し、1970年代前半までは人口も増加して、人びとも武州道や佐久甲州道をつうじて盛んに移動・交流していたのです。
  今はすっかり静寂に満ちた東町通りの老朽化した商店街を歩いていると、かつては現在と異なった文化や伝統があって、豊かな農山村に取り巻かれた都市的な集落があって、人びとが行き交い出合い賑わっていたのだ・・・と感慨深くなります。


羽黒下駅の横には広大な貯木場がある

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