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文法と哲学

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■文章作成術と哲学■

  これは、文章技術を高めるための「文章教室」ですが、言葉の規則としての文法の背後にある人間の思考の方法に関する考察でもあります。単なる作文技術ではなく、哲学の論理学と文法論を結合させて、自分の考えや認識を構成し、対象化し、表現する技法に関するノートです。つまりは、SNSの投稿記事作成からはじまって論文や報告、評論など、文章のつくり方とその原理や根拠、方法論を考究する講座です。

  この最初の草稿こそ、読者や編集者、批評家のためではなく、自分自身のために書いた文章だ。それを読む、これこそ何ものにも代えがたい、無上の楽しみだ。
  そして、推敲では、その文章を跡形もないくらいに切り刻んで、組み立て直す。これも捨てがたい楽しみだ。なにしろ、口に猛毒を含んだ批評家(の評論)によって、ズタズタに引き裂かれるよりも先に、自分で文章をなで斬りにするんだから、こんな楽しみはないさ。ざまあみろだ。

  これは、映画『小説家を見つけたら』でフォレスターが語った台詞です。
  この言葉は、私にすごい衝撃を与えました。
  それで、この記事シリーズの冒頭にもってきたのです。

  最近、SNSの普及とともに、文章を書きたい、そうすることで自分を表現したいと思う人が増えているとか――写真だけではコミュニケイションはきわめて不十分ですから。でも、なかなか書けない。そういう悩みもあちこちで見聞します。
  そこで、ここでは偏屈爺さんの私が、このさい出しゃばって、文章作成、文章表現技術の基礎について、提案していくことにします。ただし、全面的に私の好み、主観に沿って解説するのですが。
  つまりは、私のような文章なら「誰でも書ける」ようになる基本的な考え方や技術、ものの見方考え方などを示していきます。
  ただし、小説や戯曲などには向きません。私には、基本的には「アカデミックな文章」から出発し、雑誌記者としては政治や経済などを説明する文章を書いてきたという特徴と限界があります。したがって、あるテーマを掘り下げ、論点を明確にし、構成し、相手に理解させるという趣旨をもっています。
  風情や情感などに訴える文章ではありません。むしろ論理的に組み立てる(構築する)文章です。

    文章を記述するということは、言葉を用いてものごとを「自分の頭で見る・考える」ということです。ただし、「自分の頭」とはいっても、公教育やマスメディアなど社会的文脈のなかで「つくられたもの」であって、構造的な制約を受けた相対的なものです。でも、とりあえず自分の手持ちの知識や方法を使って、対象を見つめることが出発点です。
  とにかく言葉を用いて「自分の頭」で世界を眺めて、知覚し理解し認識しようと努力することから始めましょう。
  言い換えれば、「批判的であれ」「創造的であれ」ということです。批判精神のない人には、文章は書けません。創造もできません。批判性を持ちたくない人は、文章を書くことを諦めてください。とはいえ、まずは世界のものごとを自分の心(精神)のなかに取り込んでみましょう。
  批判的(クリティカル)であるとういことは、「難癖をつける」という意味ではありません。自分も含めてあらゆるものごとの限界を知ろうとすることです。このことは、この教室が進むにしたがって、理解が進んでいくでしょう。

  ヘーゲルは言っています。認識とは、思考のなかでの革命作用である、と。つまり、対象となったものごとを徹底的に破壊=分解し、吟味し、おのれの価値観に沿って組み立てなおす、つまり体系性(構築性)をもたせる、それこそが認識活動なのです。すべて疑え、存在根拠を問い詰めよ、というわけです。
  とはいえ、この作業のなかで自分の価値観もまた問い直されることになるのですが。
  ここでの結論を言うと、文章を書くとは、ものごとを「認識する」ことであり、また認識を(再)構成し、表現することなのです。
  それは、さしあたって、自分は認識できていない、ゆえに批判精神を持ってものごとを吟味するしかない、という立場にまず立つことになります。

1 文章とは何か

  こんな私の文章を読むよりもおススメなのは、すばらしい文章家の作品を徹底的に読み込み、吟味し、模倣することが、一番の早道です。
  たとえば、池波正太郎、藤沢周平、志賀直哉、島崎藤村などは、私の胸を鋭くえぐるように迫ってきた文章家です。芥川龍之介もいいでしょう。彼らは全般的にすばらしい。また、物語の全体的構成、構想のすばらしさという点では、『穢土荘厳』の杉本苑子が一番のおススメです。
  私が彼らに迫れるはずもありません。
  しかし、かつてヘーゲリアンとして論理学や《文章表現をつうじての「認識」の客体化》について悩みぬいた経験には自負を持っています。ここでは、《文章を分析し再構成するための科学》のテーゼを示すつもりです。

  さて、では文章とは何でしょうか。
  文章とはいくつかの文からなる、文脈を備えた構成物です。文は、文章を作り上げるブロックです。では、文とは何でしょうか。

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