知のネットワークをめざして

文法と哲学

目    次

  コミュニケイションの方法としての文章の強みは何か。弱みは何か。
  文章が人間の意識や思考、知覚、認識、感情を表現するものである限り、そこには人間の精神活動の強みも弱みもそのまま現れます。私たちにできることは、自分の感情・心理や認識や思考をできる限り正確に文章に写し取り、再構成することだけです。してみれば、文章を書くことは、おのれの限界を明確に認識することになります。ゆえに、辛いことも多いはずです。
  私は、自分が書いた文章を後から読んで愕然とすることも多いのです。この程度の文章しか書けなかったのか、と。しかし、文章を手直ししながら、自分の認識や思考をよりましに洗練させていくしかないのです。

■宿題の解答例■

  「地球」「太陽」「北極星」「夜の星たち」「星座」「時間の測定」「星座は反時計回りに回る」「地軸」「地球は西から東に自転する」という語を使って、意味の通る(それなりに説得性のある)ストーリー、文章をつくるというものでした
  これは、地上から見える昼夜の太陽を含む星や天体の動きを、つまり天体の見かけ上の運動という現象を、太陽系や宇宙における地球の位置や運動から、それなりに客観的・科学的に説明することが目的です。
  天動説から地動説への転換を説明する物語をつくるのです。天体の動きという普段私たちが経験し意識のなかに取り込んだ現象のイメイジ――これを哲学では表象 Vorstellung と呼ぶ――を、批判的・創造的に分析して、一定の因果関係の脈絡のなかで再構成するわけです。
  このような作業は、いまからおよそ600年〜300年くらい前に、ヨーロッパのルネサンスで始まり「啓蒙思想家」たちが試みたことです。
  ごたくはともかく、解答例の「あらすじ」を示してみましょう。

宇宙観の転換(仮のヘッドライン)

  地上の私たちから見て、(北極圏や南極圏での白夜は別として)太陽は東から昇り西に向かって運動し、西方に没する。翌日の早朝には、ふたたび太陽が地平線や水平線、あるいは山並みの上に昇ってくる。この見かけ上の日周運動は、地球がほぼ北極と南極を軸として西から東へと自転していることから生じる現象だ。そして、昼夜の長さがほぼ等しくなる日の日の出の方向を「東」、日没の方向を「西」と名付けた。
  上空の宇宙空間から見ると、地軸を中心にして回転する地球のある地点に立つ人びとから見て、向かってゆく方向を「東」、その反対、置き去りにする方向を「西」と名付けたことになる。
  しかし、本来の宇宙には、「上下左右」「東西南北」という方向づけはない。日本人にとっての「頭上」は、アルジェンティンの人びとにとっては「足下」で、まるきり反対方向だ。要するに、方向とは、地上での人間の生活の都合から設定した観念だ。
  現代につながる文明がようやく発生したはるか古代(北半球ということになる)、夜の闇は深く、晴れ渡った天空には無数の星が輝いていた。星たちは夜のあいだじゅう、動いていた。それは太陽と同様に規則的な回転運動だった。
  夜空を回転する星たちの位置関係を見定めるために、人びとは自分たちの周りの生き物や神話の登場者の形を星々に投影させて、星たちのグループつまり星座をつくった。すると、それぞれの星座は同じ季節ごとに天空の同じ位置にめぐってくることに気づいた。こうして時の動きは、昼間の太陽や夜空の星など天体の周期的な動きをもとに測定されるようになった。
  星座の回転=円運動のほぼ中心には1年をつうじてほとんど動かない星があった。のちに人びとは、その星を「北極星」と名付けて、世の中の動きや人間の運命に関与する「神の意思」の現れ――天の中心――と見なした。
  毎年、太陽や星の動きは同じ変化の軌跡を描いた。気象の年変化(季節の周期的反復)を読み取ることは、地上での農耕や狩猟、あるいは信仰上の行事を営むために不可欠だった。人びとは古代から、社会の知的・宗教的エリートを天界と気象の変化の観察にあたらせ、神の意思や人の世の運命の予兆を読み取らせようとした。
  長年の天体・気象観測の結果、人びとは、地軸と北極星とを結ぶ軸線を中心に、宇宙全体が回転していることを知覚した。ゆえに、夜空のすべての星と(そして月)、昼間の太陽は、左回りに(反時計回りに)、北極星を中心とする同心円軌道を描いて規則的に運動しているに見えた。日食などでの観測で、すべての天体は1昼夜で1回転することも知られるようになった。そして、ほぼ365日(360日+α)で、どの星も同じ位置に戻ることもわかった。この天界の運動の1周期を「1年」と定めた。
  このことから、日時や時間をめぐる尺度は、360の約数――とくに2、3、4、6、12、60などを――を集約単位(たとえば60進数)とするようになった。
  観測の結果、天界の星と星座の位置は、毎日、ほんの少しずつ反時計回りにずれていき、1か月でほぼ直角の3分の1、半年で2直角、1年で1回転(360°)の移動をすることがわかった。1日あたり、ほぼ1°の円運動だ。

  ここまでの宇宙観・世界観の発達は、乾燥気候で晴れが多く、夜の星座が最もはっきり観測できる中東や北アフリカ、インド、中国内陸部などの砂漠=乾燥気候地帯の人びとの成果であったろうと思う。
  けれども、ヨーロッパ人たちが大航海時代に突入する頃、夜の正座の動きや位置を基準に航路や方角を見定める技術=科学、そしてレンズを使って正座や遠方の光景を観察・観測する技術=科学が飛躍的に発展した。天体の観測精度も飛躍的に発達した。そして、大海洋の航海の経験から、「地上なるもの」が球体であることも立証された。
  この頃から、ヨーロッパの武力と富をめぐる闘争から生まれた権力が、そのほかの文明を侵略・征圧・支配する力関係ができ上がり始めた。地球上の大多数の文明や文化が、多かれ少なかれ、キリスト教ヨーロッパの世界観・宇宙観に屈服、あるいはそれを受容する知的な分野での権力構造も構築されていった。ゆえに、これ以降の宇宙観の説明では、キリスト教ヨーロッパのコスモロジーに依拠したものになる。
  すると、地球から見て親密な天体――火星や木星など太陽系の惑星――の動きが従来の世界観・宇宙観にそぐわないという事実が検証されるようになった。夜の空で「瞬かない星たち」、すなわち太陽系の惑星の運動が、地球と北極星を軸心とする円運動では説明できないことが明らかになったのだ。やがて、優秀な科学者や観測者たちは、「神がつくり給うた地球」がじつは宇宙の中心ではないことに気づいた。
  とくに有力な神の座を占める水星(マーキュリー)、金星(ヴィーナス)は、1年のある時期が来ると、気紛れに、小刻みに動いたり止まったりを繰り返す。木星や土星にいたっては突然、それまでと反対方向に動き出しては、またもとの軌道に戻ることが確証されていた。それほどではないが、火星(マーズ)もかなり気紛れだった。火星や木星や土星は、ときどき「神の意思」に背いて反乱を起こすのだ。
  そのことは古代から知られていて、ギリシア人たちはこれらの星ぼしを「気まぐれな放浪者・彷徨い人」=プラネーテースと名づけた――これが惑星という語のもとになった。だが、彷徨っていたのは、天空の星ではなく、人間の宇宙観だった。
  これを破綻なく説明するためには、これらの兄弟星は地球とともに太陽の周囲を公転し、水星と金星は地球の内側の軌道に、そのほかは地球の外側の軌道を回っていると仮定するしかなかった。この考えの基本は、すでに古代ギリシアの思想家が生み出していた。

  だが、この事実は、それまでのヨーロッパの精神生活を秩序付けていた信仰の土台を掘り崩しかねない危険なしろものだった。ローマ教会は、この新しい真理=仮説を弾圧・封殺しようとしたが、科学技術と製造工学の開発がヨーロッパの資本主義的文明のエンジンである限りは、長期的には、「地動説」の優越と「天動説」の没落は免れようがなかった。
  かくして、北半球ヨーロッパの人びとは、とりあえず日常的経験の一環としての星座・天空の動きについて、新しいジオラマないしホログラムを描き出すことにした。
  地球は太陽の周囲を公転する。その軌道はだいたい円を描く。この円盤のはるか彼方に北極星がある。あまりに遠方なので、地軸の延長線上であろうが太陽の回転軸の延長線上であろうが、さして影響がないくらいだが、一応、太陽の軸の延長線上に北極星が位置しているものとした。
  そして、北極星のある方角を「(北半球の)上」とした。
  この設定で、夜の星座は、1年をかけてゆっくり反時計回りに回転していることを、どう見るか。
  地球の公転軌道をはるか彼方の北極星から眺める「神の目」は、地球が、地上からの見かけ星座の回転とは「反対方向」に、つまり反時計回りに太陽の周囲を公転していることを見るはずだ。こうして、北極星を頂点として、太陽系の惑星の公転面を底面とする「円錐体」のホログラムができ上がった。

  かなり長いストーリーになってしまいました。

5 修飾語を考える

  「動物は犬だ。」という文は、それ自体としては偽でしたが、一定の文脈を受けた「この動物は犬だ。」という文は真となりました。「この」という連体詞=指示代名詞がつくとつかないとでは、文の性格は決定的に異なるわけです。   これは、ヨーロッパの言語でも共通の法則です。   英語でもドイツ語でも、いきなり書き出しの文では、最初に登場する名詞の前につくのは、通常、「不定冠詞(a, ein)」ですが、いったん話題になった名詞が主語や目的語などになる場合には、「定冠詞(the, der/das, usw.)」が必ずその名詞の前につきます。これは、話題=文脈上すでに成り立ったことがらについて、内容を付け加えるからです。   定冠詞は、指示代名詞(英語では、it, he, sheなど)との等置を念頭に置いて使用すべき語なのです。   日本の高校までの英語で、aとtheの使い分けが理解できずに悩む生徒が99%とかいいます。受験での英作文も、文型や熟語の個別理解を評価するだけのもので、長い文脈を説得的に展開・構築する文章技法を評価するものになっていません。それは、じつは出題者側にそれだけの知性がないからですが。   これは、国語でも英語でも、文脈上の文法(論理学)を教えていないからです。国語=日本語でさえ、文章=文脈を説得的に組み立てる教育がなされていないのですから、まして英語を文脈的に駆使するなんていうのは、別次元のことなのです。   文部省の官僚や学習内容担当者たちは、明治以来、受験秀才で、文型や文法の型については満遍なく「上っ面」の答えを出すことはできるが、ごく少数の文型や構文を自分の頭で考え、その考えを表現し、相手と対話(説得)する訓練を経験したことがない面々ばかりだったから、としか言いようがありません。   バブル期以降はやった「ディベイト」方法論でも、「先生がた」は、それが日本語だろうと外国語だろうと、言語を駆使して考え抜き、論理的に表現し、文脈をひとまず成り立たせるという初歩について、まったく無知でした。いや、自分は「達人」だから、そんな初歩に気づかなかったのかも。   彼らは、「横車を押し通す」「鴉を鷺と言いくるめる」「相手のどうでもいい隙や弱点の揚げ足をとる」という愚劣な口喧嘩のための手口を教えるだけで、論点の共同の吟味や対論というディベイトの基礎を教えることはほとんどありませんでした。ディベイトとは、区分される2つの立場を通約し噛み合わせるということです。口喧嘩に勝つことではありません。

■名詞・体言の修飾■

  さて、名詞・体言を修飾する言葉(連体修飾語)は、以上に説明した語のほかにもあります。たとえば、

 ・[木の]枝   ・[アフリカからの]来訪者   ・[思ったとおりの]結果

  これらは、名詞と名詞をつないで、後の方の名詞を修飾しています。2つの名詞をジョイントするはたらきをするのは、「の」「からの」です。これらは「助詞」という品詞で、名前のとおり、ほかの言葉に結びついて補助的な意味を添えるはたらきをしています。単独では自立した意味のまとまりをつくれませんから、「非自立語」ないし「付属語」「従属語」と呼ばれます。   しかし、あるとないとでは、文節の意味の明確さに天地の違いが生じます。   そこで、「助詞」の役割(種類)を考えてみましょう。

 @ これ[も]、机[か]。  A この魚[は]旨い[ね]。  B 仕方[が]ない[さ]。  C 彼[は]、京都[から]来た。  D 棚[に]置く。  E 駅[まで]歩く。  F 荷物[を]運ぶ。  G こんなわけ[で]喧嘩[に]なった。  H どこ[へ]行く[の]。  I 落ちた木[の]実[を]かご[で]受けた。  J 泣くゆとり[さえ]なかった。  K 今[でも]なつかしい。

  [ ]で囲んだ語が助詞です。ただし、例文をつくってみたら、連体修飾語だけでなく、連用修飾語も入ってしまいました。ついでに見ておきます。   「は」「も」「が」「さえ」はどれも主語を表す助詞ですが、「が」に比べて、「は」「も」「さえ」はそれらがついた語をより強調しています。このうち、「も」「さえ」は主語につくだけでなく、客語(目的語)などの修飾語につくこともできます。   Dの「に」とHの「へ」は、動作の目的となる場所、動作の方向を表しています。Eの「まで」も同じ役割をしていますが、到達点や目的地をより限定しています。範囲の限界をも意味しています。   これに対して、Cの「から」は動作の起点、出発点を意味します。   Iの「の」は、所有・所属や属性を意味します。   FとIの「を」は、動作の客体=対象を意味しています。英語では目的語と言われます。   「で」はGとIで使われています。Gは原因や理由を意味し、Iは道具や手段(方法)を意味します。   ここで、「は」「も」「さえ」は副助詞と呼ばれ、強意や累加の強調、限定などの役割を演じます。   そのほかは、すべて格助詞です。ほかにも意味・用法がありますので、いくつか例示しておきます。  より、よって … 動作の起点、原因、理由、手段  と、や、とか … 追加、並列、例示  から、より  … 選択肢の集合、母体(例 〜選ぶ)  に、から、より、まで… 時間的な起点や目標、期限など   これらは、英語(ヨーロッパ語)の前置詞と重ねて覚えておくと、イメイジがはっきりします。   たとえば、   時間や空間の起点=から、より…〔:from, since〕   手段、理由、方法、経由=で、から、よって…〔:by, for, since, because, with, through〕   空間や時間の目標や継続範囲、期間・期限、存在場所=へ、まで、に…〔:to, towrad, in, into, onto, upon, till, within, during〕  こうやると、日本語のほかに別の言語の理解を深め、比較して文法上の役割や意味を明確に覚えることができます。私は、日本語を書いているとき、ほんの瞬間ですが、英語やドイツ語の前置詞と比較して、文脈のうえで適切かどうか吟味します。  以上は、頭のなかに空間的なイメイジ(範囲や位置関係、矢印の向き)で理解しておくと、以外に活用の視点が豊富になります。  ところで例文では、連用修飾語として、「ね」「か」「さ」「の」という終助詞が使われています。これらは、文末について、文全体に疑問・質問(問いかけ)、確認、意思の強調などの意味を添えます。日常会話では、非常に重要です。

   

■用言および述語の修飾■

 

  用言とは、動作を表す動詞、様子や状態を表す形容詞、形容動詞などのことです。これらと連結して修飾する語が、連用修飾語です。 @ 雨が[激しく]降る。     ……〔形容詞の連用形が動詞を修飾〕 A 紅葉が、[とても]美しい。  ……〔副詞が形容詞を修飾〕 B 解決は、[非常に]困難だ。  ……〔形容動詞の連用形が形容動詞を修飾〕  @では、雨が降る状態・様子(程度)を「激しく」と説明しています。Aでは、美しい程度を「とても」と説明しています。Bでも、困難な程度・度合いを「非常に」と説明しています。形容詞や形容副詞など(用言)が動詞や形容詞、形容動詞を修飾する場合には、必ず連用形の活用語尾になっています。連用修飾するから、「連用形」と呼ぶのです。  このように、述語となる言葉を修飾することを、「副詞的はたらき」と見ることができます。したがって、用言を修飾するのは、副詞的はたらきと一括してイメイジすると知識を整理・総括することができます。  これは、英語でもドイツ語でもまったく同じです。ただし、文法上の言い方は「副詞」ないし「副詞句(複数の単語からなる場合)」となります。ここでは、このヨーロッパ語の文法用語を使うことにします。  ところで、以上は一番単純な形です。  動詞を修飾する語は、  「雨が、[とても(非常に)激しく]降る。」 というように、「とても」が「激しく」を詳しくし、これらが全体(語群)として「降る」を修飾する仕組みにすることもできます。  「とても」に代えて、「滝のように」とすることもできます。この場合には、「滝のように」が副詞句となっています。この句は詳しく見ると、「滝」に助詞の「の」がついて、これにさらに助動詞(比喩ないし様態を示す)「ようだ」の連用形が合体し、これら全体で「降る」を修飾しています。これは、修飾語が少し複雑な仕組みになっています。

6 より複雑な文の構造と修飾語

  では、より複合的で高度な文の構造を分析するという角度から、修飾語の仕組みや役割を考えてみましょう。これは、修飾語の応用編です。 ■少し複雑な修飾語■   次の文の[ ]【 】で囲んだ修飾語が、どの言葉(文節)にかかっているか考えてみましょう。【 】は、[ ]よりも大きなまとまり(括り)です。 @ 【[重い荷を][背負った]】山男たちは、【[高い][嶺を]】越えていった。 A [実際の]風景は、【[写真よりも][ずっと]】美しい。 B 彼が[任された]仕事は、[思ったとおり]、【[非常に][難しい]】仕事だった。  @について: 「重い荷を」は「背負った」を修飾。背負うものが何かを説明しています。そして、これらの語群が全体として「山男たちは」を修飾しています(どんな「山男たち」なのかを説明)。「高い」は「嶺を」にかかり、これらがまとまって、「越えていった」を修飾しています。越えていった場所を説明するわけです。  Aについて: 「実際の」は「風景は」にかかる。「写真よりも」は「美しい」にかかり、「ずっと」も同じです。どちらも美しさの度合いを説明しています。そして、これらは合体して、これまた「美しい」を修飾しています。  Bについて: 「任された」は「仕事は」にかかり、「思ったとおり」は「難しい」にかかります。ただし、より厳密に「難しい仕事だった」にかかるので、「難しい」だけでは不完全だ、と見ることもできます。「非常に」は「難しい」に、「難しい」は「仕事だった」にかかり、これらが一体となって「仕事だった」を修飾します。  Bの「思ったとおり」のように、どこにかかるか判定が難しい場合もあります。その場合は、許される範囲で、より大きなブロックに関係させておきます。  ここで重要なのは、自分で書く修飾語がどこに直接にかかるか(どこにかかわらせたいか)を、明確に自覚して文章をつくらなければならない、ということです。どの語(の属性)を詳しく特定したいのかを意識して文章を書くこと。

■主語=述語関係の並存と重層■

  いましがた見た例文@では、「山男たちは」を修飾する「【[重い荷を][背負った]】」のなかには、修飾語と述語の関係が含まれています。そして、「重い荷…男たちは」が全体として、この文全体の「主語のはたらきをする語群」をなしています。この語群を、「主部」(主語のブロック)と呼びます。  これに対して、「高い嶺を越えていった」は全体として「述語のはたらきをする語群」をつくっています。これを「述部」と呼びます。  語群として修飾語になるブロックを、「修飾部」と」呼ぶことができます。しかし、話がややこしくなるので、ここでは度外視します。  ここで意識してほしいことは、1つの文のなかに、主語=述語関係が2通り以上成り立っていることです。これには、単に並列・並立している場合と、重層的な構造になっている場合とがあります。次の例文を見てください。 @ 風は横殴りに吹きまくり、波は大きくうねっていた。 A 私は、街路を役人たちが通り過ぎるのを、眺めていた。  @では、「風が吹きまくる」ことと「波が大きくうねっている」ことが、ただ並立し、同じ重さで並んでいます。文法上は、因果関係が示されているわけではないので、この2つの部分の順序を入れ換えても、文脈上の意味は変わりません。  つまり、  波は大きくうねり、風は横殴りに吹きまくっていた。 でも、ほぼ同じ意味の文になります。  つまり、主語=述語関係が2つあって、並立しているのですが、これを「重文」といいます。文が単純に重ねられているということです。  これに対して、Aでは「私は、眺めていた=A」と「街路を役人たちが通り過ぎる=B」というように、主語=述語関係がやはり2つですが、これらは入れ換えができません。文は立体的になっていて、Aの述部の「眺める」という動詞の客語=目的語がB全体なのです。  つまり、AとBは「入れ子」構造、重層的な仕組みになっていて、Aという主語=述語関係の部分としてBがはめ込まれているのです。Bは全体として、「眺めていた」という述語の修飾語となっていて、文全体の大きな構造から見て、述部の一部分をなしているのです。  このような仕組みの文を「複文」といいます。  この文の場合、ヨーロッパ語の文法に倣って、Bの部分を「目的語節」と呼ぶことにします。主語=述語関係をつくる語群を「節」と呼び、この節が、文全体の述語動詞の目的語となっているということです。  ところで、このBの節は、Aと比較すると、文全体のうち付属的ないし従属的な位置づけになっています。中心的ないし支配的な節はAの部分です。そこで、Aを「主節」ないし「独立節」、Bを「従節」ないし「従属節」と名づけておきます。複文を書いたり読んだりする場合、最も重要なことは、どれが「主」でどれが「従」なのかを素早く読み取り、文の骨格と組み立てを理解することです。  この技術・技能を身につければ、文章を速く読み、そして書く能力を養うことにつながります。

  ・[あの]本(連体詞)
  ・[赤い]花(形容詞)
  ・[大変な]事件(形容動詞)
  ・[泳ぐ]魚(動詞)
  ・[投げられた]石(動詞+助動詞)

  連体修飾語になる語は、連体詞を除いて、すべて用言――動詞・形容詞・形容動詞・助動詞など活用されて語尾が変化する――で、活用語尾の形は「連体形」といわれる形です。そのなかで、「投げられた」は、「投げる」という動詞の未然形に、受身を表す「られた」が合成された言葉です。詳しくは「られる」の連用形に「た」という過去・完了を表す助動詞の連体形が加わった、複合助動詞です。

■今回はここまで■

  では、ここで「宿題」を出しておきます。挑戦したい人だけに。
  次のいくつかの語を使って、意味の通った文脈を成り立たせる文章をつくりましょう。

  「地球」  「太陽」  「北極星」  「正座は反時計回りに回る」  「地軸」  「地球は西から東に自転する」  

  解答例は、次回に掲載します。
  これは、日常のできごとを基礎的な科学の知識を使って考える、思考力、論理力を身につけるための訓練の1つです。

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