今回の旅では、間の宿茂田井から望月宿まで旧中山道の遺構を探りながら歩きます。この間には低い丘があって、茂田井から40メートルほどのぼって下ることになります。 ◆古い街道の遺構をたどる◆ |
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旧中山道の上り坂から茂田井の集落を振り返る |
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▲神明宮の石段参道の登り口から歩き始める ▲茂田井集落の東端の家並みがしばらく続く。上り坂は始まっている。 ▲上り坂の先に尾根丘陵の頂部が見える。その向こう側が望月郷だ。 ▲丘陵の尾根の平坦部にさしかかる ▲丘陵の谷間の窪地にある溜め池、濁池 ▲谷の手前で旧中山道は右(南)に分岐する ▲谷沢の扇状地を横切る小径が中山道の遺構らしい ▲小径は国道142号をくぐる。街道遺構は埋もれてしまっている。 ▲中山道の遺構は国道の土台に覆われて失われてしまった ▲水田の向こう側の樹林の陰が中山道の遺構 ▲旧中山道、谷の底に降りていく。明るい場所が谷底。 ▲坂の途中で樹間越しに集落が見える。望月の街外れの家並みだ。 ▲ひとつ下の段丘平坦部に(南向きに)降りていく小径 ▲坂を下りきると、東に曲ががって進む ▲佐久良(さくら)公園: 段丘を跨ぐ広い草原 ▲公園を過ぎると小径はさらに下の段丘に降りていく ▲坂を下るとふたたび県道に合流する ▲道から東の眺め。鹿曲川の峡谷に降りてきた。ここは望月宿のすぐ北側。 水田地帯の背後に迫るのは御牧原台地で、麓を鹿曲川が流れている。北におよそ10キロメートルほど流れ下って千曲川に合流する。その左手背後に見えるのは烏帽子岳と湯ノ丸高原。2つの山岳高原の間の大峡谷を千曲川が流れる。烏帽子岳の南西麓に上田盆地が広がる。 御牧原台地の向こう側は小諸で、千曲川は小諸の西から北西に流れ、上田盆地にいたる。望月は、北に向けては上田、北東に向けては小諸に連絡する交通・交易の要衝に位置する。 |
中山道の芦田宿から茂田井を経て望月宿、さらに八幡宿にいたる一帯には、蓼科山の北麓から十数キロメートルも続く尾根筋の末端丘陵が何本となく延びています。この一帯を東西に行き来する中山道は、そういう尾根筋のような丘陵を横切っていくことになります。
さて、茂田井から望月まで旧中山道の遺構を探索する歩き旅の出発点は、神明宮にのぼる参道石段としました。ここはもう街外れで、尾根の背に向かう長い上り坂が始まっています。標高差40メートル近くをのぼる中山道はけっこうきつい坂です。
県道に合流してから池の畔を過ぎると、道の両側の樹々の枝が天を覆うトンネルのようになっていて、初夏の強い陽射しを遮ってくれて、じつに清涼です。丘陵の峰を回り込むように、およそ800メートル歩くと、尾根の背を越えて望月を見おろす斜面に出ます。
国道の周囲には、小さな谷川を水源としている棚田が続いています。国道をくぐり、水田脇の小径を往くと樹林の陰に旧中山道の道筋が現れました。木陰を曲りくねる小径をたどって谷底に降りていくと、小さな段丘が階段状に連なっています。谷底近くには、湧き水の水源湿地があるらしく、路面が水浸しになっています。道脇の樹林越しに、下の段丘にある家並みが見えてきます。
水田地帯の農道小径を往くと、その北側に広い草原が見えてきます。草原は、ふたつの段丘に跨っていて、佐久良公園と呼ばれています。この公園は、県道148号と旧中山道とのあいだに横たわっているのです。佐久良公園という名称は、かつて駐車場や草地横断路の両側に桜並木があったからだと思われます。しかし、桜の樹々は年老いて枯れたり倒れてしまったものが多いようです。
これで、またひとつ段丘を降りることになります。この段丘は、鹿曲川の急流が侵食して形成した河岸段丘のうち最も上にあるものです。
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