▲この一角だけ古い土壁が保存されている
信州の中山道はどこでも起伏に富んでいて多かれ少なかれ坂道になっています。明治以降になって荷車などの車両の通行のために道路の起伏はかなり均されましたが、それでも坂が残されています。
ことに茂田井集落のように、狭苦しい集落を迂回するように国道が建設されたところでは、旧街道の坂がそのまま残っていて、緩やかに曲がりくねり上下する道筋が、いい味を出しています。
茂田井の集落内の旧街道を歩くときには、そんな坂道や曲がりくねりがもたらす独特の街並み景観を楽しむことができます。
芦田宿から緩やかに下ってきた道は、茂田井の西側のなだらかな御丘陵を越えて下り加減で茂田井間の宿に入っていくことになります。
集落の中心部にさしかかる手前に一里塚があって、そこは石割坂とも呼ばれています。道脇の説明板によると、その昔、大きな石(岩山)があって勾配がきつくて通行が大変だったため、中山道の開削時に石を破砕したそうです。石を割って通した坂道なので「石割坂」と名づけられたのだとか。
この坂は今でも急坂です。集落に入っても緩やかな下り道は続き、大澤酒造・しなの山林美術館の手前辺りで、街道はふたたび緩やかに下りに入ります。神明宮辺りが街道の一番の底になるようです。そこからふたたび尾根丘陵をのぼる坂道になります。この尾根を越えて望月宿に向かうことになります。
▲酒の仕込みを示す大きな杉玉
▲しなの山林美術館の古民家
大澤酒造民俗資料館・山林美術館の辺りは、茂田井でも往時の街の姿をとどめるところで、街歩きでも一番楽しいところです。古民家住居や酒造りに利用されていた土蔵などの古民家が残されています。
大澤酒造の東隣りに、今でも伝統的な方法で酒造りを続けている竹重本家酒造があります。ここにも土蔵や住居などの古民家が数多く保存されていて、中山道沿いの古い街の佇まいを今に伝えています。
昔ながらの製法でつくられた酒は、いまでは世界中で大きな人気を得ているようです。伝統的な文化としての酒造法を維持するための醸造をおこなっているとかで、こうなると「酒を造る」というよりも「文化を継承する活動」と表現する方が、むしろことの本質を言い当てているかもしれません。
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