出早口交差点から旧中山道の小径に入る
今井方面から南南東に進んできた旧中山道は、出早口交差点で国道20号と交わり斜めに横断します。旧街道の道筋はそこから先、国道の南側をだいたい1.7キロメートルほど緩やかに湾曲しながら、砥川河畔まで続きます。
里山景観の一部をなすような端正な和風庭園と広壮な造りの古民家が街道の両側に続く景観は、前半の700メートルくらいの道のりです。
現代風の建築も混じってはいますが落ち着いた設計で、美しい景観を保ち田園地帯のなかの農村集落の風趣を残すために一帯の住民たちが続けてきた努力が偲ばれます。
旧街道の道幅は2間ほどで、クルマが2台行き違うのも相当に困難です。しかし、その狭さ、旧街道をあまり拡幅しなかったことが、景観を保つ条件となったのではないでしょうか。住民は、便利さよりも生活環境の美しさを保つことに大きな価値を見出したということですね。
敷地内の庭園は和風で里山風。じつに端正だ
旧街道と家屋とのあいだの距離は、狭い場合でも2間ほどはあって、この空間は前庭となっています。背の高い針葉樹の並木や常緑樹の生垣が敷地を縁取っています。杉や松、サワラ、ヒバなどの針葉樹は、ゆったりと間隔を置いて植えられています。晴天率が高い諏訪湖畔で、強い直射日光をほどよく和らげているという感じです。
そういう並木の隙間や垣根植栽越しに、ところどころ本棟造り古民家が重厚な姿を見せています。重厚で広壮な主屋ですが、生垣や植栽を間に置いて眺めると、いっそう古民家の美しさが引き立ちます。往時の人びとはあたかも、そういう街道をゆく旅人からの眺め、景観のほど良さを計算していたようにさえ見えます。
街道沿いに並ぶ庭園の樹々が、遠ざかるほどに小さくなって、奥行き感が心地よさを呼び起こします。「見た目の樹高の逓減」によってもたらされる遠近感の妙というべきでしょうか。
街道から少し退いた位置に格式を感じさせる薬医門
主屋南側の広い前庭には桜の叢林
そんな「旧家のお屋敷」が並ぶ家並みのなかにひとつだけ、街道から程よく奥に退いた位置に、重厚な薬医門が設けられています。伝統にしたがって脇にくぐり戸も設えられています。何より門の配置が奥ゆかしさと格式、品格を感じさせます。昔からここに門があるという風情(歴史)感じます。
門の屋根は今は瓦葺きですが、往時は茅葺だったのではないでしょうか。名主とか、この集落の村役人を務めていた家門でしょうか。江戸時代には厳格な身分秩序があって、家の格式に応じた門の形がありました。幕府や藩による許認可が必要だったのです。
この集落では、旧中山道から奥に入った裏道が南北両側に通っていました。この裏通り沿いにも家並みがありましたが、さらに奥は水田地帯でした。今ではその田園地帯のなかに国道20号が通っているので、市街地化していますが、かつては広大な田園地帯でした。水田地帯のなかを用水路が縦横にはしっていました。
用水路は中山道の裏通りに沿って開削されていました。往時、裏通りは用水整備(堰掘りにともなう泥上げ)用の道でもあったのです。街歩きのさいには、旧街道から1区画奥にある小径を用水路沿いにめぐって、往時の農村風景を想像するのも面白いでしょう。
街道沿いに発達した集落では、街道(表通り)の脇道として表通りの裏道があって、もし参覲旅をする大名の行列が街道を通行している場合に、住民たちは日常の農作業などのためにそこを通行できたのです。もちろん、庶民の旅人も。
この主屋構造は養蚕向けの本棟造りなのだろうか
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