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長野県岡谷市長地柴宮
 
  旧中山道が国道20号と交差する辺りから平福寺までのおよそ600メートルの区間は、歴史的な街道景観の名残りをとどめています。江戸時代から続く旧家の屋敷が連なっているのです。 広壮な本棟造りの古民家が保存され、街道脇に端正な和風庭園の木立や垣根が続いています。
  写真:雪晴れの朝、旧家の屋敷が並ぶ柴宮の旧街道沿い風景。

 
お屋敷庭園が続く伝統的景観

  今回は岡谷の旧中山道のうち、出早口交差点から南南東に平福寺辺りまでを歩き、街道沿い風景を探索します。この区間は、江戸時代以来の旧家の屋敷の古民家と庭園が保存されていところで、伝統的で美しい景観を堪能できます。


▲くぐり戸を脇に備えた薬医門。街道から1間以上も退いた位置に立つ。村役人の屋敷だとすると、往時は茅葺造りの門だっただろう。

  東堀柴宮地区は、昭和中期まで純然たる農村地帯だったので、幕末以来の街道沿いの景観を今にとどめているのでしょう。旧中山道の道幅は2間(3.6メートル)ほどで、400~500坪前後の屋敷地をもつ富裕な農家が街道沿いに集まって村落をましていたものと見られます。
  江戸時代中期までは来歴が古い農家でも住居は茅葺造りだったようですが、1840年代頃から、本棟造りの広壮な主屋を構え、その脇に土蔵を建てるようになったようです。

■豊かな農村集落の印象■


出早口交差点から旧中山道の小径に入る

  今井方面から南南東に進んできた旧中山道は、出早口交差点で国道20号と交わり斜めに横断します。旧街道の道筋はそこから先、国道の南側をだいたい1.7キロメートルほど緩やかに湾曲しながら、砥川河畔まで続きます。
  里山景観の一部をなすような端正な和風庭園と広壮な造りの古民家が街道の両側に続く景観は、前半の700メートルくらいの道のりです。
  現代風の建築も混じってはいますが落ち着いた設計で、美しい景観を保ち田園地帯のなかの農村集落の風趣を残すために一帯の住民たちが続けてきた努力が偲ばれます。
  旧街道の道幅は2間ほどで、クルマが2台行き違うのも相当に困難です。しかし、その狭さ、旧街道をあまり拡幅しなかったことが、景観を保つ条件となったのではないでしょうか。住民は、便利さよりも生活環境の美しさを保つことに大きな価値を見出したということですね。


敷地内の庭園は和風で里山風。じつに端正だ

  旧街道と家屋とのあいだの距離は、狭い場合でも2間ほどはあって、この空間は前庭となっています。背の高い針葉樹の並木や常緑樹の生垣が敷地を縁取っています。杉や松、サワラ、ヒバなどの針葉樹は、ゆったりと間隔を置いて植えられています。晴天率が高い諏訪湖畔で、強い直射日光をほどよく和らげているという感じです。
  そういう並木の隙間や垣根植栽越しに、ところどころ本棟造り古民家が重厚な姿を見せています。重厚で広壮な主屋ですが、生垣や植栽を間に置いて眺めると、いっそう古民家の美しさが引き立ちます。往時の人びとはあたかも、そういう街道をゆく旅人からの眺め、景観のほど良さを計算していたようにさえ見えます。
  街道沿いに並ぶ庭園の樹々が、遠ざかるほどに小さくなって、奥行き感が心地よさを呼び起こします。「見た目の樹高の逓減」によってもたらされる遠近感の妙というべきでしょうか。


街道から少し退いた位置に格式を感じさせる薬医門


主屋南側の広い前庭には桜の叢林

  そんな「旧家のお屋敷」が並ぶ家並みのなかにひとつだけ、街道から程よく奥に退いた位置に、重厚な薬医門が設けられています。伝統にしたがって脇にくぐり戸も設えられています。何より門の配置が奥ゆかしさと格式、品格を感じさせます。昔からここに門があるという風情(歴史)感じます。
  門の屋根は今は瓦葺きですが、往時は茅葺だったのではないでしょうか。名主とか、この集落の村役人を務めていた家門でしょうか。江戸時代には厳格な身分秩序があって、家の格式に応じた門の形がありました。幕府や藩による許認可が必要だったのです。

  この集落では、旧中山道から奥に入った裏道が南北両側に通っていました。この裏通り沿いにも家並みがありましたが、さらに奥は水田地帯でした。今ではその田園地帯のなかに国道20号が通っているので、市街地化していますが、かつては広大な田園地帯でした。水田地帯のなかを用水路が縦横にはしっていました。
  用水路は中山道の裏通りに沿って開削されていました。往時、裏通りは用水整備(堰掘りにともなう泥上げ)用の道でもあったのです。街歩きのさいには、旧街道から1区画奥にある小径を用水路沿いにめぐって、往時の農村風景を想像するのも面白いでしょう。
  街道沿いに発達した集落では、街道(表通り)の脇道として表通りの裏道があって、もし参覲旅をする大名の行列が街道を通行している場合に、住民たちは日常の農作業などのためにそこを通行できたのです。もちろん、庶民の旅人も。


この主屋構造は養蚕向けの本棟造りなのだろうか


旧街道は庭園公園のような風景が続いている▲

敷地の境界を縁取る並木や生垣は奥行き感を与えている▲

旧街道は緑地の谷底を歩むような印象だ▲

二階と屋根裏部屋まである重厚な本棟造りの主屋▲

針葉樹の列が遠近法の構図をきわ立たせている▲

妻面の窓の縦密出格子が端正な美しさをもたらしている▲

庭園と古民家建物、双方の端正な美しさの絶妙の地理間加減!


落葉樹(桜)と背の低い垣根が冬の陽射しによる明るさもたらす▲

主屋の妻入造り面が街道側に向いていない古民家▲

間隔を置いて植えられた針葉樹並木はほどよく日光を遮っている▲


農業用水路沿いの裏通りの風景▲

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