前山寺の開基は古く、9世紀はじめに空海が護摩(密教)の修行霊場を開設したことから始まるといいます。
峻険な岩山の観がある独鈷山は、真言密教の修行・修験の場には最適だったのでしょう。そもそも山の名前が「独鈷」というくらいですから、この近辺が密教修験と深い結びつきがあったことを物語っています。
独鈷とは、密教の祈祷用具(金属製または象牙製)で、握りの両端に鋭利な突起などの金属製の飾りがあります。
その後、鎌倉時代の末に寺院を現在の場所に移して伽藍堂宇を再建したと伝えられています。
◆未完の塔と本堂◆
有名な三重塔は、室町時代の建立と推定されています。造りは、宋代中国から伝えられた禅宗の様式とそれまでの和様式との折衷だということです。
そして、部材の加工具合から見て、さらに工作を加える計画だったと見られています。梁材や貫材が刻み目を残したまま棟から突き出ているのです。
つまり、「未完成」のまま現在に残されてきたと専門家には評価されています。けれども、欄干や飾りがない今のままで十分に美しいと感じられます。
いや、簡素の姿こそが、塔の優麗さを際立たせているといえます。
本堂は唐様建築様式の萱葺き屋根で、屋根の上側にはわずかな「むくり」、下側には「そり」があります。本堂正面には唐様の破風があって入口となっています。
三重塔がひときわ注目を浴びていますが、私は素朴な本堂の造りも気に入っています。
「唐様」といっても、日本固有の建築様式なのです。
◆和の美の世界観◆ ところで、日本の神社や仏閣あるいは城郭の建築では、屋根の「そり」は中国のものと比べて、かなり緩やかです。「反り返る」というほどではありません。
屋根のそりは、もともとは天の権威に結びつこうとする地上の支配者の意思の表現だといいます。
中国の王宮や寺院の上に急な「そり」は、より直截に天帝の権威に近づこうとする意思の表れかもしれません。近寄る民衆には威圧や畏怖を与える効果がありそうです。
だとすれば、日本の屋根の「そり」は、天に近づこうというよりも、何歩か退いたとことからはるか遠方に天の権威を眺め、静かに崇めるという発想や世界観の表現かもしれません。
畏怖よりも親和と包摂の感を呼び起こすのではないでしょうか。民衆を引き寄せるイメイジです。私は、このゆるやかな「そり」に親近感と癒しを感じます。
◆山と境内は一体化◆
本堂の東隣には庫裏があって、そこでは「くるみおはぎ」の接待を受けることができます。
庫裏の正面の庭園も美しい。山水庭園は切れ目もなく、そのまま山腹に続いています。
というよりも、独鈷山の東に張り出した尾根の麓にあるこの寺の境内(庭園や霊園)は山裾の斜面につくられているので、庭園と山とが一体になっているというべきでしょうか。山全体の山水庭園に寺院が包まれているようです。
◆優美な参道は癒しの場◆ さて、前山寺を訪ねる楽しみの1つは、松やケヤキの巨樹からなる美しい並木の下の参道をゆっくり歩いて登ることです。心が癒されます。
今回は運よく、桜の花を愛でながら歩くことができました。
参道から入ったところで左に折れると、信濃デッサン館があります。建物は、蔦が絡まる瀟洒な洋館風建築です。
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