本文へスキップ
長野県伊那市高遠町
  高遠の街外れ、杖突街道沿いの高台にある香福寺は真言宗の寺院です。
  山林が境内の背後に迫っていて、樹林に囲まれた静謐な寺院です。境内では桜やシャクナゲ、カエデなどが季節ごとに美しい景観を織りなしています。
  写真は、満光寺の東を流れ下る猪鹿沢川河畔からの眺め:香福寺薬師殿の屋根が見える 【撮影は5月はじめ】
高遠で最古の寺院

  医王山香福寺は8世紀半ばに高僧、行基が薬師如来を本尊とする小さなお堂を建て霊場を開いたのが始まりなのだそうです。やがて9世紀に弘法大師空海がこの地を行脚したときに、大きな薬師堂を建立して真言宗の霊場としたのだとか。


▲参道石段をのぼった壇上にある香福寺の薬師堂(本堂)


▲シャクナゲが咲く境内

■高遠藩主内藤家の菩提寺■


▲咳の地蔵堂の内部: 大日如来を薬師如来と地蔵菩薩が囲んでいるのだろうか?

  香福寺は、745年にこの地を訪れた僧行基が奇岩を見て薬師如来の薬壺を思い浮かべ、薬師如来像を彫ってお堂を建立したのが起源なのだとか。行基といえば、聖武天皇の治世であの奈良の大仏(盧舎那仏像)を建立開眼を指導した高僧です。その行基がインスパイアされた岩は今、境内にある薬壷岩なのだそうです。
  薬師堂の前に立つ説明板によると、行基は医王山幸福寺と名づけ、そのとき平城京で盛んだった法相ほっそうの思想による霊場としたようです。当時は、日本ではまだ仏教が宗派に分かれる前だったとか。

  その後823年に空海がこの地を訪れたさいに大きなお堂を建てて本尊を大日如来とし、やがて真言宗の霊場となったそうです。真言宗は現生利益を掲げているので、仏教での医療の神、薬師如来をもともに祀って、近隣民衆に医療サーヴィスを施したのでしょう。

  ところが、戦国末期に織田家の武田攻めのさいに大火が起きて、寺の堂宇は焼失してしまったそうです。しかし、本尊の大日如来像と薬師如来像は救い出され無事だったとか。


▲薬師堂(本堂)の入り口の様子
▲樹間から高遠の街が見える

  やがて17世紀前半(元和年間)に僧亮戒によって本堂が再建されましたが、1821年に火災で本堂はまたまた焼失、その2年後に再建したお堂が現在の薬師堂(本堂)なのだとか。
  今、高台の境内は、樹林に取り巻かれていて木陰となっているため、庭園一面に苔が広がっています。この日はシャクナゲが開花して、寂寞に彩を添えていました。


▲壇上の聖徳太子堂を見上げる


咳の地蔵堂を右手に見て参道をのぼる

石段参道に木漏れ日が射す

さらに段丘斜面の参道をのぼる

参道の端から西に木曾駒ケ岳を望む

薬師堂脇にはシャクナゲの群落がある

春の木陰はまだ寒い

境内は樹林に囲まれている

急斜面にある聖徳太子堂

|  前の記事を読む  ||  次の記事を読む(未公開)  |

 
高遠とっておき情報

企画取材中

  •  
信州まちあるき

別所温泉と塩田平

別所温泉と塩田平を特集

木曾路をめぐる旅

妻籠と馬籠を特集

奈良井まちあるき

木曾路・奈良井宿を特集

  • 木曽路、奈良井の歴史散歩
  • 街並み景観見て歩き
  • フォトギャラリー など