▲咳の地蔵堂の内部:
大日如来を薬師如来と地蔵菩薩が囲んでいるのだろうか?
香福寺は、745年にこの地を訪れた僧行基が奇岩を見て薬師如来の薬壺を思い浮かべ、薬師如来像を彫ってお堂を建立したのが起源なのだとか。行基といえば、聖武天皇の治世であの奈良の大仏(盧舎那仏像)を建立開眼を指導した高僧です。その行基がインスパイアされた岩は今、境内にある薬壷岩なのだそうです。
薬師堂の前に立つ説明板によると、行基は医王山幸福寺と名づけ、そのとき平城京で盛んだった法相の思想による霊場としたようです。当時は、日本ではまだ仏教が宗派に分かれる前だったとか。
その後823年に空海がこの地を訪れたさいに大きなお堂を建てて本尊を大日如来とし、やがて真言宗の霊場となったそうです。真言宗は現生利益を掲げているので、仏教での医療の神、薬師如来をもともに祀って、近隣民衆に医療サーヴィスを施したのでしょう。
ところが、戦国末期に織田家の武田攻めのさいに大火が起きて、寺の堂宇は焼失してしまったそうです。しかし、本尊の大日如来像と薬師如来像は救い出され無事だったとか。
▲薬師堂(本堂)の入り口の様子
▲樹間から高遠の街が見える
やがて17世紀前半(元和年間)に僧亮戒によって本堂が再建されましたが、1821年に火災で本堂はまたまた焼失、その2年後に再建したお堂が現在の薬師堂(本堂)なのだとか。
今、高台の境内は、樹林に取り巻かれていて木陰となっているため、庭園一面に苔が広がっています。この日はシャクナゲが開花して、寂寞に彩を添えていました。
▲壇上の聖徳太子堂を見上げる
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