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長野県塩尻市奈良井
 
奈良井を歩く 細目次
奈良井の歴史
宿駅としての格付けと繁栄
商業と地場産業
街道と都市集落の発達
宿駅制度の余話
 
奈良井の歴史と地理  
新緑のなか

新緑のころの奈良井の街並み。多くの人びとが訪れる。

■商業と地場産業■

  江戸時代から、木曽一帯は林産や関連産業が発達してきた。
  ことに奈良井は、檜物細工、塗物(漆塗工した木工品)、塗櫛などの木工業特産物で大きな収入を得てきた。
  幕藩体制のもとで、木曽谷の人びとには尾張藩から毎年、檜の白木御免木6000駄が下賜されたという。

  檜は幕府と尾張藩の禁令によって厳格に伐採を禁じられていた。檜を含む木曾五木は、幕府または尾張藩の公用のためにだけ伐採・加工されることが許された。

  木曾の山林は全体として尾張藩が管理統制していた。山林の一部は「明山(あきやま)」として木曾の住民たちにも開放され、立ち入りや利用が許されていた。

  とはいえ、一般住民の立ち入りが原則では禁止されていた「巣山(すやま)」や「留山(とめやま)」でも、村人が生活のために雑木や柴を切り、木の実や茸を狩り、下草を刈ることは認められていた。
    むしろ、人びとの雑木や柴の伐採によって、藩の御用林の環境が保全されていたのだ。

  しかし、木材資源として価値が高いヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコの「五木」は、藩の許可がないとどこでも伐採が許されなかった。
  だが、森林の保全や、街道宿駅の運営管理など尾張藩の統治の末端業務を担う木曽谷の人びとには、藩からの恩典として、生業のため、一定量の檜の白木材が支給されその使用・加工が許可されていたのだ。
  耕地の少ない木曾谷の人びとにとって、木材の供給・調達は死活的な生活条件だったからだ。

  下賜された6000駄の檜白木のうち4分の1にあたる1500駄が奈良井に割り当てられたという。もちろん、五木以外の雑木も、木工や漆芸の材料として大いに利用された。
  この一帯では、奈良井の商人たちの影響下で、檜物細工や漆塗り木工品の生産が地場産業に成長した。
  ことに、奈良井の隣の集落、平沢郷の多数の人びとが檜物細工や漆器の生産で生計を立てるようになった。

迫る山
街に迫る山。山は森林資源の宝庫だ
高級漆器
伝統的な高級漆芸品

木工漆芸も盛ん。
その技法は、飾り気のない日用品にも用いら
れる。素朴だが洗練された味わいがある。
日用の食器類も豊富。
曲げ物技術でつくられた茶筒などもある。
傘 和風の木工・漆芸技法の洋傘や和傘もある
 
木曾路を学び体験する

鳥居峠トレッキング

  • 昔の中山道木曾路の面影を訪ねる峠道のトレッキング
  • 奈良井から藪原までを歩いてみませんか

中山道の絵地図

  • 江戸時代に幕府が定めた主な街道と中山道の絵地図です。

木曾路の絵地図

  • 中山道のなかで木曾路の部分を詳しく説明する絵地図です。
  • 木曾路の宿駅の場所や交通アクセス、近隣の名所などがわかります。

奈良井の街並み絵図

  • 詳しい解説つきの絵地図です。街歩き、街めぐりに役立ちます。
  • 神社や寺院、文化財、主な観光施設などの位置がわかります。

奈良井の町家造りの解説

  • 町家のデザイン、つくりを説明します。
  • 街並み景観をもっと楽しむことができます。
のんびり写真館

街歩き写真館

木曾路・奈良井の心に残る風景写真を特集

  • 街並み景観、風物
          フォトギャラリー
  • 木曾路・奈良井散策
 
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