中山道は京から近江、美濃を経て信濃、上野、武蔵を通って江戸にいたる街道です。古くは東山道と呼ばれました。この道は、信濃では北国街道と連絡し、また、甲州街道とも連絡していました。
江戸時代の中山道は69次で、宿駅の数は67。これまた江戸と京を結ぶ東海道とは、草津(滋賀県の琵琶湖の近く)で合流することになります。
木曾谷を通るので、木曾街道とも呼ばれていました。広義の木曾街道です。
木曽路はほとんどが山峡を縫う道です。塩尻を出て南下する道は、妻籠までずっと両側を高い山脈によって囲まれています。
西には御嶽山の連峰がそびえ、東には木曾駒ケ岳を主峰とする中央アルプスがそびえています。ともに3000メートル級の大山脈をなしています。
▲高い山脈に囲まれた木曽路(贄川付近)
上 奈良井宿の西には鳥居峠が迫る
往時の木曽路はこんなだった 右
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中山道のうち、贄川宿から馬籠までをたどる往還が、狭い意味での木曽路です。木曽路の宿駅は、贄川、奈良井、藪原、宮越、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠の11宿。
そのうち奈良井は、江戸の日本橋を出発してから34番目の宿です。
東山道木曾路の宿場街、奈良井の歴史は古く、鎌倉時代にはその名が広く知られていました。上田に信濃の国府と国分寺が置かれていたので、8世紀中ごろには木曾路の原型があったと思われます。
◆立ちはだかる稜線◆
谷間をゆく木曽街道は、奈良井と藪原とのあいだで険しい稜線によって遮られます。木曽駒ヶ岳から北に向かって険しい峰を連ねて長く延びる尾根筋が、木曽路に立ちはだかっているのです。
旅人は急峻な峠道を歩いて稜線を越えていかなければなりません。奈良井宿のすぐ西に位置する鳥居峠は、木曽路で一番の難所といわれていました。
この、南北に連なる峻険な尾根筋は、その東側には北に向かって流れる奈良井川、西側には南に向かって流れる木曾川という2つの水系を隔てる分水嶺をなしています。
ゆえに、中山道は、塩尻から奈良井までは奈良井川に沿って上り、藪原から妻籠までは木曽川沿いに下る道となっていました。
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