中山道は、京から近江(滋賀県)美濃(岐阜県)を経て信濃(長野県)、上野(こうづけ:群馬県)、武蔵(埼玉県)を通って江戸にいたる内陸の街道だ。
街道の中央部を占める信濃では北国街道と連絡し、北陸・越後など日本海方面と江戸とを結び、また、甲州街道とも連絡して、甲斐を通って江戸に行き着いた。
こうして中山道は軍事的にも経済的にも要衝をなしていた。中山道は最重要の交通路の1つになっていった。
1602年には、徳川幕府は江戸と京を結ぶ主要街道の1つとして中山道の宿駅制度を定めた。
中山道は、ターミナルの日本橋と草津を入れて69次で、その間の宿駅の数は67。太平洋岸に沿って江戸と京を結ぶ東海道とは、近江の草津(滋賀県の琵琶湖の近く)で合流する。
◆信濃では山中の道◆
さて、中山道は安中から碓氷峠を越えて軽井沢で信州に入る。そのあとの主な宿駅は、追分、小田井、望月、和田、下諏訪と続く。塩尻を過ぎると、贄川で木曾路となる。
木曽路は険しい山岳に囲まれた峡谷を行く道である。
中山道の塩尻を出て奈良井川を遡上する道は、まもなく両側に急峻な稜線が迫る深い谷筋に入る。
贄川の宿から馬籠までが(狭義の)木曽街道(木曽路)である。宿駅は、贄川、奈良井、藪原、宮越、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠の11宿だ。
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