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長野県塩尻市奈良井
 
奈良井を歩く 細目次
奈良井の歴史
宿駅としての格付けと繁栄
商業と地場産業
街道と都市集落の発達
宿駅制度の余話
 
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奈良井の歴史と地理  

  中山道の宿駅67のうち奈良井は、江戸日本橋を出発して板橋宿から数え始めて34番目の宿である。木曾路11宿のなかで最も有力な町だった。奈良井の歴史は古く、鎌倉時代にはその名が広く知られていたという。

奈良井の街筋▲今日の奈良井宿の街筋

  奈良井宿の街筋の長さは10丁(1キロメートル以上)もあった。山峡の宿駅集落としては、きわだって大きい。現在でもそっくり保存されている。日本では、今日までこの規模で歴史的な街並み景観が保存されているのは、ほかにほとんど例がないという。

■奈良井の歴史■

  中世にこの一帯を支配していたのは、土豪の奈良井氏だった。
  栄枯盛衰は権力者の常で、室町末期から戦国時代には、木曾一帯は木曾福島を本拠とする山村氏が支配宰領していた。

  奈良井は、より大きな統治単位に組み込まれた。各地方のあいだの経済的・商業的な結びつきが深まり、権力者のあいだの政治的・軍事的な対峙が強まり、小さな統治単位では生き残れなくなったのだ。

  徳川家が覇権を握ると、木曾路は幕府の直轄領になり、山村氏は一帯を統治する木曾代官に任ぜられた。
  幕府が主要街道として中山道を定めるさいに、木曾路で一番大きな街、奈良井は宿駅として指定された。
  やがて木曾は、尾張徳川家の所領となった。山村家も尾張藩に属するようになった。

  往時、人びとは森のなかの小径を歩いて宿駅から宿駅のあいだを旅した。
  峠道はことのほか険しかった。森を抜け出て奈良井の宿を見た旅人は、大きな街の様子に安堵したことだろう。

 
街並み俯瞰
峠道からの奈良井宿の眺望
杉並木の小径
その昔、木曾路はこんな風情だった

土豪、奈良井氏の居館跡。今では草に埋もれている

木曾路を学び体験する

鳥居峠トレッキング

  • 昔の中山道木曾路の面影を訪ねる峠道のトレッキング
  • 奈良井から藪原までを歩いてみませんか

中山道の絵地図

  • 江戸時代に幕府が定めた主な街道と中山道の絵地図です。

木曾路の絵地図

  • 中山道のなかで木曾路の部分を詳しく説明する絵地図です。
  • 木曾路の宿駅の場所や交通アクセス、近隣の名所などがわかります。

奈良井の街並み絵図

  • 詳しい解説つきの絵地図です。街歩き、街めぐりに役立ちます。
  • 神社や寺院、文化財、主な観光施設などの位置がわかります。

奈良井の町家造りの解説

  • 町家のデザイン、つくりを説明します。
  • 街並み景観をもっと楽しむことができます。
のんびり写真館

街歩き写真館

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