高山寺の本来の参道は、境内がある高台の下のから石段をのぼって仁王門をくぐるようになっている道筋ようです。というのも、仁王門は金剛力士を左右に配して俗世間と対峙させ、参詣者に俗念を捨てさせるはずのものだからです。
▲仁王の前にはたくさんの草鞋が奉納されている
この門に置かれている2体の仁王像は、言い伝えでは、奈良の大仏建立を指導した行基の作だそうです。戦国時代に戦火から避難して小川村立屋に移設した戸隠三院にあった仁王像を、高山寺に移したものだと言われています。
堂宇がたっている壇には、さらにもう一つの石段をのぼることになります。石段をのぼると鐘楼があります。この鐘楼は二階建てで、梵鐘を衝くためには梯子をあがっていくことになります。
鐘楼の奥に本堂があって、その西側に庫裏が配されています。三重塔は鐘楼の東側にたっています。本堂の脇を通る石畳は、裏手にある上の段に向かっていて、これまた石段をのぼると観音堂があります。
そのなかで観音堂は、信濃三十三か所巡礼の最後(結願)で三十三番札所です。高山寺は、三十二番目の西照寺――ただ観音堂だけが残されていて住職もいない――をも管理しています。
▲街道面した東側の門
この観音堂に本尊として安置されている聖観音像は弘法大師の作と伝えられています。
ことほどさように古い伝承の文物がこの寺の寺宝となっています。
ほかには、輪王寺宮自筆の書、弘法大師と伝教大師の自筆所を張り合わせた軸、松代藩真田家から寄進された宝剣(雷劔)が一張が伝えられているのだそうです。
▲観音堂の屋根の後方は寄棟造り
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