寺伝によると、この寺が創建されたのは平安前期の大同年間(807年)だということです。東征のために当地を訪れた坂の上田村麻呂が勝利を祈願して観音堂を創建したのだとか。
小川はそのときには密教修験場としての戸隠神社の支配下にあったようですから、顕光寺の直接の采配によって堂宇を建立したのではないでしょうか。
そのときから鎌倉時代初期までは、寺は堂平という場所にあったようです。
▲観音堂の庇の下から塔を望む
1192年に源頼朝の命で、1192年、その地に堂宇を再建したさいに三重塔を建立したとも伝えられています。しかし、その3年後に、堂塔伽藍を現在地に移設したとも言われています。
一方、観音堂を現在地に移設したときに三重塔を建立したと解釈する歴史家もいるようです。話は錯綜しています。
ところがその後、寺院は荒廃し、三重塔も庇が破れ建物も傾くくらいに傷んでしまったのだとか。そこで、元禄年間(1694〜1697年)に木食上人の手で再建されたのだとか。
 
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