▲段々畑の下に城下町が広がる
高遠の街と農村の集落や耕作地は、深い渓谷を刻む三峰川水系の河岸段丘の上にあります。ということは、飲料水や農業用水の確保が大変に難しい土地に、高遠藩の城下町や農村が建設されたということを意味します。
つまり、用水路(井筋)の掘削建設をおこなわなければ、城下街も藩経済の運営もできなかったのです。高遠藩では、17世紀半ばから三峰川とその支流の上流部から取水して、峻険で固い岩盤斜面を掘削し、街と農村に水路を建設してきました。苦難の歴史です。⇒参考サイト
高遠藩の水利事業として進められたそういう井筋掘削の指導者として、柳沢弥左衛門(17世紀半ば)と伊東伝兵衛(18世紀半ば)の名が伝えられています。とくに伝兵衛は5つの用水路の建設で力を発揮し、井筋は「伝兵衛五井」と呼ばれています。
▲建福寺裏からの城下町の眺め
私が訪ねた六道原一番井(六道井)は、高遠藩が手がけたもので、藤沢川流域の栗巾で取水してから2つの大きな尾根を回り込むような形の用水路です。2つの尾根のあいだに深い谷を刻む猪鹿沢を水道橋で越えるという高度な技術を駆使したものです。
今では、この井筋の畔に舗装道路がつくられていて、高遠の街全体を見おろしながら歩く遊歩道にもなっています。この道は、高遠城がある兜山とほぼ同じ標高をたどっています。高遠城の背景には南アルプス仙丈ケ岳が控えています。
したがって、高遠城址の全体を一望するためには最高の地理的環境にあるといえます。ことに春の桜の時季には、高遠城址に咲き誇るトカトオコヒガンの樹林全貌を巨大な一塊として――そして背後の残雪の仙丈ケ岳も――眺めることができる景勝地となります。
しかも、遊歩道沿いににタカトオコヒガンの桜並木となっているところもあって、ことに「堅牢北神尊」が祀られた緑地には桜が密集していて、絶好の花見場所になります。そして、その近くからも高遠城址を見渡すことができるのです。
さらに高遠城址から西に視線を転じると、中央アルプスの木曾駒ケ岳から空木岳にいたる秀峰群を見はるかすこともできます。桜花がが散った後の若葉の季節、緑が深まる夏の風景、晩秋の紅葉など、この遊歩道からの景観は雄大かつ秀麗です。
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